『シェフ 三つ星フードトラック始めました』を見ていました
3ヶ月ほど前になりますが…
シェフ 三ツ星フードトラック始めました [SPE BEST] [DVD]
- 出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
- 発売日: 2015/12/25
- メディア: DVD
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『おそ松さん』が終わってしまった
書けずにいたら少し前のことになってしまいましたが…
上野公園の迷子
『桐島、部活やめるってよ』本と映画の感想
ネタバレしています。
この本が発売されたのは2009年。話題になっていることは知っていたけど2008年に生まれた息子の育児に追われていて読む暇がなかった。そして2010年に娘が生まれてますます余裕がなくなり、少し余裕ができてきたかなと思っていたら離婚騒動でまた余裕がなくなった。それが最近ようやく余裕ができてきて、ふと「小説でも読もう!」と思い立って図書館に行き、「あ」の棚から順に物色していたところ、この本を発見して「そういえばずっと読みたいと思っていたけど読んだことがなかったなー」と思ったので借りて読んだ。結果、とても面白かった。面白かったので本を2回借りた後「これはもう手元に置いておいた方がいい!」と思って文庫本を購入してしまったほど。
- 作者: 朝井リョウ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/04/20
- メディア: 文庫
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Amazonレビューの評価の低さよ…。信じられない!
文庫は解説が映画版の吉田大八監督だし、WEB掲載された新章「東原かすみ〜14歳」がついているのでお得だ!!!
登場人物(に限らず高校生活全般の)あるある感がすごい。それでいて作者の主張が感じられるものとなっている。菊池が前田の「ひかり」に惹かれ、それまでとは違う道を歩もうとするのがその象徴だ。でもこのラストわかりにくいよね。っていうか宏樹はそれまで散々自分の内面を語っているくせに「野球部に戻るのか」については何も語らないんだよね。語らないことが不満なんじゃなくて、それまでの宏樹のキャラクターと違っているので、あのラストの描き方は不満だ。読み終わった後もう一度最初から読み返すと「野球部に戻る」つもりで歩いていくラストであることが明確にわかる記述が最初の方にあるんだけど(だから、記憶力がいい人はすぐにピンとくるのかもしれないけど、私はピンとこなかったよ…)。*1
あと「桐島」の章が読みたい。読んだ人それぞれが想像するのが正解なのはわかっているが、朝井リョウ氏の見解が知りたい!
そして映画版。
「そういえば映画にもなっていたなー」と思ってDVDをレンタルして見てみたら、これまたとても面白いじゃないですか!そしてとても面白かったのでDVDをもう一度見返してから本に戻ってみると、また新たな発見があるじゃないですか!*2
というわけで本と映画を比較して感想を書いていきたいのですが、直近に見た映画版の熱量が高すぎるので、どうしても映画の方に偏った感想になってしまうと思います。とはいえ本の方も大好きなので、また読み返して何か発見したら追記するかもしれません。
桐島、部活やめるってよ (本編BD 特典DVD 2枚組) [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: バップ
- 発売日: 2013/02/15
- メディア: Blu-ray
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出演者の方々の演技の上手さについては改めて触れません。
本と映画の一番の違いは物語の切り取り方だと思う。本では「人」で物語が切り取られているが、映画では「時間」で切り取られている。のだが、映画の時間軸の遡り方が複雑。単純に違う視点で同じ時間を繰り返しているのではない。
「一部巻き戻し」というか。例えば終盤の前田ラストでの「屋上から下りてくる宏樹」から「宏樹目線のラスト」(最後は「屋上から下りてくる宏樹」が繰り返される)への繋がり。「屋上から下りてくる宏樹」がなぜ繰り返されるのか。素人目線で考えると最初の映像はなくてもいいと思ってしまうんだけど、きっと意味があるんだろうし(入口でキャプテンと会話したから?)、そのセンスがすごいと思う。っていうかこんな見せ方ができる映画ってすごい。あと「好きになると、人はその人を目で追ってしまう」様子の映し方とか。自分が高校生の時にこの映画を見ていたら、絶対映画部を作って映画を撮ってるよ!前田に憧れるんじゃなくて、この映画に憧れるよ!
それから、本では風助の内面や実果の家庭の事情が描かれているが、映画ではカットされている。そこは本を読むと補完できるのだが、映画と全く違う部分もあるので「本が映画で語られていない部分をそのまま埋めてくれる」と考えると混乱してしまうかもしれない。
私が混乱した部分。
- 実果に彼氏。梨紗と実果が彼氏の下校待ち仲間
- 実果はバドミントン部ではないし、ライバル心を抱いている部活仲間はかすみではない
- 沢島さん周りの人間関係
- 沢島さんの好きな人
- 竜汰の彼女(描かれていない)
- 中学時代の前田とかすみの距離ーー!!
- 映画の脚本を書いているのは武文
「もし、その通りはまっている部分があるとしたら、それはその通り読み取っていい」くらいの感じ。でも「まったく別物!」とも言い切れない。
映画になって、動いている様子が見られて良かったなと思ったのは宏樹と梨紗・沙奈だ。原作を読んだときには宏樹が内心で周りの人を見下している嫌な奴としか思えなかったんだけど、映画を見ると、確かにこんな人もいるかもなあと。東出昌大さんの演技が良かったのもあるけど。あと梨紗と沙奈は、クラスで目立つけど実果や宏樹から内心で距離を置かれている女子…ってどんな感じなのか想像がつかなかったんだけど、映画を見たらなるほどこんな感じなのかと納得がいった。*3
最後に。1回目に見たときは「自分は前田だ!」と思ったんだけど、2回目には「高校生の時の自分は前田だったけど、今は武文になっているかもしれない」と思った。高校生の時私は演劇部であり新聞委員(委員といってもクラスから決まった人数を強制的に出すのではなく、希望者のみで構成されている。なので部活のようなもの)であったので前田と同じくマイナーな文化部、であるのだがそれでけではなく、自分の好きなものに対して前田の「ロメロだよそれくらい見とけ!」な勢いであったのが、今は過剰に卑屈になってしまっている。武文は「(体育で活躍するクラスメイトに対して)不毛なことをさせといてやるよ」とか「(『おっ待た〜』をバカにされて)オレが映画監督ならあいつらは使わないね」とか、いちいち口に出すんですよね。ちょっと私もそういうところがあるので、反省。
夢、とは
わけあって、離婚後3年目にして初めて子供たちが元夫の実家に泊まりに行っているのですが、出発の前日に夢を見ました。
その夢では子供たちだけではなく、私も一緒に元夫の家に行っているのですが、
夢の中でも私たちは離婚している。
だけど面白いのが、元夫の弟は私たちが離婚した後に結婚したらしい(息子からの伝聞なので私はよく知らない)のですが、夢の中でも弟は結婚している、つまり、最後に会った時から情報がアップデートされているのです。でも結婚相手の顔は知らないので、完全に想像の産物です。
その夢の中で私と夫は離婚しているが、私は元夫の父親と兄弟から(母親は離婚騒動より前に亡くなっています)、完全に「そこにいるけど、いない」者として扱われる。それに対して弟の妻が「みんなちょっとお義姉さんに対して酷いと思う」と言って怒るのです。
その後、夢の中の私がどうしたのか、元夫の実家を飛び出したような気がするけどよく覚えていないのですが。
目が覚めた後、考え込んでしまいました。それは、完全に蓋をしていた感情であったので。
私は、子供たちだけを送り出すことなんて何でもないことだと思っていたけど、実は気にしているのか。私は、自分がもしあの家にまた行くことがあったら「ない者」として扱われると思っていて、それに対して怒りを感じているのか。そしてその怒りは、自分自身でぶつけるのではなく、誰かに代弁してもらいたいと思っているのか。
いや、たまたまそういう夢を見ただけであって「自分が本当はどう思っているか」なんて(普段蓋をしているならなおさら)夢の通りであるとは言い切れないけど。でも、自分の無意識を全て日の当たる場所に出しておきたいというか、コントロールしたいと考えている私にとっては、考えさせられる出来事であったなあと。そう思う。
映画『オデッセイ』感想
というのは、ポスターのコピーが「70億人が、彼の還りを待っている」なんですよね。当初は、彼は地球と交信することができないんだけど、このコピーを見ていれば、序盤で火星に取り残された後も「どうやら地球と交信できるようにはなるのだな」と思えるから絶望感が薄れてしまうのでは…と思うんだけど細かいことはいいのか。
まあそれはそれとして、マークが(落ち込むときは落ち込むけど)諦めないのがいい。そしてマークだけでなく映画に登場する人全てが諦めないのがとてもいい。
生い立ち授業とか
いろいろあったよー。
まずは『おそ松さん』の「検閲」は結局止めた。というか最初からそんな暇はなかった。それに、最近、実家から母が来ていたのだが、事前に「おばあちゃんに『おそ松さん』を見せるのは止めておこうよ」「えーなんでー」みたいな話をしていたのだが結局私が不在の間に一緒に見ており、母と娘が一緒に主題歌を合唱していたり「おそ松兄さん!」とか言いあったりしているのを見て、なんかもう別にどうでもいいかな…という気持ちになったのであった。元はと言えば、母は私が子供の頃「残酷」とか「エロ」とかの方向のアニメを見ることに非常に厳しかったので気を遣ったのであったが。気を遣わなくていいならもうどうでもいいやー。ゴールデンタイムのアメトーークで「同伴おじさん」が出てくる今日この頃でもあるしね。ということで相変わらず家族で楽しく見てます。
それから娘なんですが、「なんだか最近幼稚園に登園する時、やけにぐずるなあ」と思っていたら担任の先生から「最近、園での様子がいつもの○○(娘)ちゃんと全然違っていて、泣くと手が付けられなかったり、すごく構ってほしがっているような気がするのですが、何か心当たりはありませんか?」と言われ、よく考えてみると子供二人とも学級閉鎖中に息子だけがインフルエンザにかかり、しかも症状が重かったので私がそちらにかかりきりになってしまい、娘を放っておきがちだったのでそれが原因かなあと。
でもそのときは娘は大人しくお絵かきなどをしていてくれて、私としては非常に助かっていたのですが、やはり我慢していたのかなあ。ていうかそんなとき子供は「構って!」とは言わないものなんですね。遠慮していたのか、上手く言葉にすることができなかったのかはわからないけど。ていうかそれが原因なのかもわからないけど。でも「そういうことってよく聞くけど本当にあるんだなあ」と思いました。そして反省したので娘に謝り、「これからは構うね!」と宣言して意識的に構うようにしています。といってもなかなか時間に余裕がないので一緒に家事をしたり、話をしっかり聞くくらいなんですけど。
それから生い立ち授業。「あの」小2生活科の「生い立ち授業」が授業参観であったんですよ。
b.hatena.ne.jp
元々「3学期にこの授業を行う」ことは前々から予告されており、インタビューの宿題もあったので答えられる範囲で答えていたのですが、当方母子家庭であるので「何が発表されるんだろう…」と思いながら相当身構えて行ったのですが、今までの人生すべてを振り返るものではなく「生まれたとき」「1歳頃」「2~3歳頃」などの時代から自分の好きな時代を選んでその時代の自分についてわかりやすく説明するというものだった。時代の選択だけでなく内容も全て子供に任せられており、「家の人へのメッセージ」も一言述べることになっているものの別に「感謝の気持ち」でなくてもよい、というものだった。あーよかったなー多分に感動的でなくてー。
そして私は発表内容より「発表(プレゼン)方法」に小2にして個性が出ているなあと感心しました。作文が不得手な子であっても声が大きかったりユーモアを交えたりしていてプレゼン能力が高かったり、逆にプレゼン能力が低くても難しい言い回しを使っていて「おっ」と思わせたり。まあいずれの能力も今後の学校生活で訓練の場がたくさんあるのでどんどん上がっていくのでしょうが。
そんな感じで「意外と怖くなかった」生い立ち授業でありました。
(でも、子供が「なぜその年代を選び、その発表内容に決めたか」はわからないけどね。私はインタビューにはなるべくフラットに答えたし、年代ごとの写真を持っていくときに子供は普通に父親と一緒に写った写真を選び、私はそれについて別に何も言わないけどね。子供に何かを聞かれたら、そのときに一生懸命考えて答えるだけです。)