可能性のなさがつらい

昨日の話なんですが。

我が家の朝はいつもバタバタしているのだが、昨日は家を出る直前に娘が鼻血を出し、ギリギリではあったものの多少時間はあったので手や顔を洗うなどの始末をし、でも走ったりするとまた鼻血が出そうだったので抱っこで車まで走っていたのですが。

ふと横を見ると10分前に出発しているはずの小学生の登校班がまだそこにいる。いつも登校を見守ってくださっている近所の方がいたので話を聞いて見ると、ウチの息子が「みんなと一緒に行きたくない」と言っているという。

わーすみません皆さんは行ってくださいと息子以外の子供達を出発させ、息子には少し待つように言い、娘を運び、荷物を運んだ後、息子に話を聞いてみると、水筒を持っていっていいのは9月いっぱいまでだったのだが私が間違って持たせてしまい、息子も間違って持っていき、登校班の集合場所に行った時点で間違いに気付いたので水筒を家に置いてきたのだが、水筒を持ってきたことを皆に「ズルイ」と言われたのが嫌だったという。この辺の経緯は息子からしか聞いていないので「皆にきつく言われた」と言っているがどの程度なのかわからないし、実際に「ズルイ」というワードが出たのかもわからないんですが(間違って持って行ってしまったことへの負い目もあって重く受け止めてしまった可能性もある)。

ウチは学校から近いので、話を聞いている間に心配した教頭先生が様子を見にきてくださり、その時点ではまだ息子は落ち着いていなかったので教頭先生には落ち着いてから行きますと言い、話を聞き終えたら息子も落ち着いたのか「じゃあ行くね」と行く気になったのだが息子の小学校は子供1人での登校は禁止なので娘を待たせて学校まで送って行ったのであった。

 

その後ひたすら「つらい…」と思いながら仕事に行ったのだが、何がつらいって周りに迷惑をかけてしまったことはもちろん、それ以上に、学校に向けて足を踏み出すのは息子であって、私には声を掛けることくらいしかできないってことですね。その可能性、というか選択肢のなさがつらい。

 

でも仕事をしながら考えていると「しょーもねーな」という気がしてきて。間違って水筒を持っていってしまったことも、「ズルイ」というワードを使うことも、そのワードを気にしてしまうことも。

夜、すっかり立ち直っていた息子にもう一度詳しく話を聞き、「間違って持って行ってしまったけど、すぐに気付いて家に置きにきた。素晴らしい対応ではないか」「来年はお互いに絶対気を付けよう」という結論に至りました。

そして「クラスにも水筒を間違って持ってきた子がいたんじゃないの?」と聞いてみたところ「何人かいた」と。ほらーうっかりしてるのはウチだけじゃないんだからもう(一安心)。そしてさらに「その子たちのことをズルイと思った?」と聞いたら「別に思わない」と答えたので、「そうだよね。それじゃあ『ズルイ』とか言ってくる人のことも気にすんな!」と話してこの件は終わりにしました。

もっとこう、日記みたいに書きたい

8月31日の夜にこれを書けていることに感謝。今日で夏休みが終わる。今日の『生活は踊る』の小倉弘子アナの叫びじゃないけど「ブラボーーー!!!」

 

ほんとブラボーですよ。全国のお子さんをお持ちの親の皆様、本当によくやりましたよね(主語が大きいけど私が認める)。お疲れ様です。なんか職場でウチと同じような小学生の子持ちの方と話すと「我が家はテキトーだから」と言いながらもその家庭の普段のレベルより確実に頑張っているんですよ。えらいよ。

私も頑張ったよ!我が家は小3息子と幼稚園年長の娘なのですが、息子は学童、娘は幼稚園の延長保育に通っています。二人とも弁当なので毎日弁当作り、また私の自治体の学童は保護者の送迎が必須なので夏休み中は毎日「送り」が発生。幼稚園は毎日プールの用意が必要で、小学校は不定期にプール授業あり(予定を忘れがち)。あと幼稚園で着た体操着とかお昼寝のパジャマとか毎日持ち帰ってくるので毎日洗濯しないと回らない。そしてお茶が大量になくなる。

母子家庭で実家も遠いのでこれら夏休みならではの追加事項への対応も一人で行っているのですが、自分が倒れないようにするだけで精一杯ですよ。そして家の中がどんどん荒れていく。土日は夏休みの宿題を見なければならないので普段より家事の時間も取れないし。夏休み忙しすぎ!!

 

そう、夏休みの宿題…面談で担任の先生から直々に「親が見てあげてください」と言われれば見ないわけにはいかないだろう。手は出さないけど。

今年は感想文で「自分の思ったこと」を割と書けるようになってきているのがよくわかった。あと、文の装飾に凝りだしたり、「書く力」は去年より確実に進歩したかな。自由研究は本人が「近所の公園の夜の虫」について調べたいと言ったので、家族3人で何回か夜の公園に繰り出して観察しました。なんとか形になったのでよかった。あとワークの丸つけとか、他にもいろいろありましたが、本人が「宿題はやらなければならないもの」と自覚して取り組んだので、夏休みの終わりに苦労するということも(それほど…)なかったので助かった。でも、大変だったよ!!!

 

ところで、本人は夏休みの間は何も問題ない毎日を送っていたものの、明日からまたあのクラスで毎日が始まると今日になって気付き、「学童の方がよかった!」などと言ってましたが…

学校で勉強してくれ。クラスも、何かが変わるかもしれないよ。

そして私もまた、クラスでの息子の様子を気にかける毎日が始まるということであり、それはそれで憂鬱ではある。

 

そして、タイトルなんですが。

ブログを始めて2年が経ちました!

 

こちらは自己紹介です。

 

 こちらは昨年書いた振り返り記事です。

 

3年目に入る今思うのは「考えるより先に書きたい」ということです。日記みたいに。

いろいろあったりしてなかなかパソコンを開くこともままならない(パソコンで書く派)日々ですが、これからも書いていこうと思っています。

フリースタイルな個人面談ジョン

夏休みの初めに、担任の先生との個人面談がありました。

 

担任の先生の言動について話した結果、教育センターから学校に確認がなされ、

教育相談の先生から「先生からごめんなさいの一言くらいあるかもね!」と煽られて(?)の出席だったのですが、別にごめんなさいとかはなかったねー。

「大変なんです」とのお話はあったが。

dnnn.hatenablog.com

 

でも、今までで一番建設的に話ができた気がします。

「こういう場面では進んで取り組んでいます」 「この教科の一学期の評価は悪かったけれど、こういう方面から興味を持たせてみると良いのでは」「家ではこんな風にやる気を持たせています」のように、方法の共有ができたから。

 

面談に行く前、気が重かったので、録画してた『フリースタイルダンジョン』を2回見てから行ったんだけど、それが良かったですかね。相手のパンチラインを見極めた上で動揺せずにこちらの言いたいことはしっかり言う的なね。先生のパンチラインはすごいよー。

ってもちろん『フリースタイルダンジョン』は関係なく、たまたま面談の日の面談前に在宅していた子供達のリクエストで見ただけです。ええ、相変わらず深夜番組を家族で楽しむ我が家です。元々私がたまに見ていたのですが、『マツコ会議』(これも深夜番組だけど)のACEのラップ教室の回に息子がとても興味を示していたので『フリースタイルダンジョン』を見せてみたら、知っての通りとても面白い番組なので当然ハマったようで、毎週録画して楽しく見てます。Abema TVの再放送もたまに見てます。

 もちろんあれはラップバトルであって、日常生活で急に人を罵倒してはいけない、ということは理解した上で見てます。家族でジャッジして感想を言い合ってます。娘は特にお気に入りのモンスターはいなく、息子は若いT-PABLOWとかCHICO CARLITOがお気に入りのようです。あと『Monsters War』にも出ていた焚巻が自分と同じ川越出身なので身近に感じて応援しているようです。Twitterで、川越での焚巻目撃情報って結構あるんだねー。「この街に!」と思うとそりゃワクワクするわー。

そして私がモンスターの中で一番好きなのは断然R-指定ですよ!ラップに詳しくない私にも感じ取れるほどにスタイルが多彩すぎるし、上手すぎる!

 

ともかく、そんな感じで楽しく見てます。そしてたまに息子からラップでDISられます。真面目な場面ではなくて、もちろんふざけた場面で。

さすがに子供は頭が柔らかいねーいい感じに韻を踏んでたりするんですよ。それに対して私が適当に(ただラップ風に喋っているというだけで)返すと「Heyお母さん それは違う 全然ダメ、マツコに出てた アイツと同じ」などと言われるんですよ。つまり、『マツコ会議』のラップ教室の生徒のように、ラップになってないよ!というわけなんですよ。難しいよもう。

また教育相談

担任の先生と闘うことにしました。

闘う、というのは先生に対して何か物申すということでは(まだ)なく、

先生を心から信頼して、指導されたことについて真剣に検討する…ということはできない、という方向に気持ちを変えるということである。

 

前回教育相談について書いてから今日までの間に2回教育相談に行っていますが、私の方の面談は完全に「先生に対する愚痴を話す場」となっています。「お母さんが辛そうなので、少しでも心が軽くなるようにここでは何でも話して下さい」と言われたので甘えています。でも愚痴を言うのにもすぐ飽きてしまったので、近々ある個人面談の作戦を立てたり、夏休みの宿題への取り組ませ方を聞いたり、学校への物申し方を教えてもらったりしています。建設的に。

 

そして、以前書いた「思わず『それは困った』という顔をしてしまうような困った事態」というのは先生の言動(記事に書いた以外にもいろいろ言われています)のことなのですが、事態が重く捉えられたのか、教育センターから学校に状況の確認がなされたようです。

教育相談に行ってきた - 見て見て!書いたよ!

結果(薄々気付いてはいたが)、クラスがかなり荒れていて先生はキャパオーバー状態、二学期からは学校全体での立て直しが決定している、と校長から報告があったという。息子自身の問題もあるが、そのせいで集中できないということもあるようだ。

それを聞いて先生に一言言ってやろうという気は失せたものの、でもキャパオーバーだからといって何をしてもいいのか!?という気持ちはあるんですよね。だから冒頭に書いた通り、信頼はしないけれど淡々と対応していこうと思っています。

 

教育相談の先生、担任の先生について若干煽り気味なのが気になるところなのですが…(私の気持ちを軽くしようとしてくれてのこと?)。でも、認識に間違いがあったときはきちんと正してその先の話し合いに繋げてくれるので信頼できます。

息子の方も、息子担当の先生とすっかり打ち解けて楽しそうに遊んでいます。息子なりに学習や友人のことで悩んでいるようなので、先生に相談してくれないかなと思っているのですが、まあ、相談するもしないも自分で決めてうまくやってくれ。

確かにやっかいな性格ではあるので、これからもよく見ていかなくてはいけないことは間違いない。教育相談とは別に、医療機関には行こうと思っている。その先のことはできるだけ本人の希望を聞いた上で、その都度考える。

次は、夏休み明けに行きます。

すてきなギャングエイジ

現在小3の息子。ギャングエイジの入り口…になるんでしょうか。

友達の間で「ウザイ」「ババア」などの「汚い」言葉が流行っているらしく、

「ダメだって知ってるけど言ってみたいんだよ!」と言いながら私に向かって「ウゼーんだよババア!」とか言ってみてくるんですが、そんな前置きをいちいちするところがまだまだかわいいですね。言われた私の方は「言ってみてる」レベルのときは「言いたいんだったら言ってみていいよ〜でもこっちも言い返すからね〜」と受け流しています。不適切だと思うときは叱ってますが。

 

さて、そんな息子たち、学校でも「汚い」言葉を使いたいが、そこは先生にガッツリ怒られるようなんです。

そこで彼らがどうしたかというと…

フィクションの世界でそれらの言葉を使うことにしたのであった!

小2の国語で習った『ふきのとう』の、

 よが あけました。

あさの ひかりを あびて、

竹やぶの 竹の はっぱが、

「さむかったね。」

「うん、さむかったね。」

と ささやいて います。

この部分の会話を

「うざいね。」

「きもいね。」

などと変えて、国語の音読のように真面目に読むギャグが流行っているのだという。

それを聞いたとき、「うまい!」と思ってしまった。センスあるなあ。そうだよねーフィクションということなら大人は手出しできないよねー。

教育相談に行ってきた

第1回の教育相談に行ってきました。

自治体の教育相談センターで親子別々に面談をしてきました。

私の方は、生まれてから最近までの様子をお話ししました。息子が何を話していたかは知らない。

話してみての感想は、相談員さんの聞く技術が高い。こちらが何を言っても表情を変えない(例えば、困った事態について話しても「それは困った」という顔をしない)ので安心できる。あと「こういう事態があって、こう対応されたのですね(あるいは、こう考えられたのですね)」というまとめが的確。例えて言うならものすごく聞き上手な美容師さんという感じ。いろいろお話しして、何も解決していないのにこんなにスッキリしていいの⁉︎っていうくらいスッキリして帰ってきました。

まだ、1回目の面談が終わっただけであるので、具体的に何をどうするかなどは次回以降検討していくことになりました。

 

具体的なことは何も言われなかったけど、何となく察したこと。

この状況を一気に解決するような「薬」だとか「教育法」などというものはない(そりゃそうですよねー)。本人の様子を見ながら、本人と親とが協力していろいろな方法を試していくことになる。そして本人の努力がすごく必要だ…。

 

担任の先生の「薬」発言については、もしかしたら思ったことを全て言わずにはいられない人なのかと思った。あと「社会に出たらやっていけない」は、最近保護者会があったんだけどそこで全員に対しても言ってた。でも、同じ言葉でも全員に対して発せられたものと、現在進行形で悩んでいる親に対して一対一で発せられたものとは破壊力が違うわけで。先生の性格や事情を察して気を遣ってあげる、というのもおかしな話であるわけで。社会人なんだから問題の解決が第一でしょう。面談や保護者会での言動を見て「何だか、おかしい」気もしている。

子供の前ではそんな疑問を感じていることなど全く見せませんが。

今の時点では先生や学校に何か物申すつもりはなく、先輩ママに先生の評判を聞くくらいかなあ。

読むと、ものすごく感情を揺さぶられて涙が出る一歩手前のような状態が続いた後、少し元気になれます(『困ってるひと』感想)

タイトルは、あくまで私の場合です。 

困ってるひと

困ってるひと

 

 概要とかあらすじはいちいち書かないよー。

この本、最近古本屋で買った2011年8月発行の雑誌『ケトル』の巻末のカルチャーコーナーで薦めている人が2人もいたことから興味を持って読みました。2011年の本だから出版されて割とすぐの時期から話題になっていたんだね。私はこの本の存在は知っていたけど、そこまで話題になっていたことは知らなった(『桐島』同様、いろいろあって本を読む時間がなかった問題)。その後文庫にもなったということは、それだけ多くの人の心を掴んだってことなんだろう。

 

とにかくすごいユーモア。常に熱はあるし痛みはあるし、検査の様子とか「おしり流出」の処置の様子とか、とても大変な状況のはずなのに、文章は全編がユーモラス。そうしなければ書ききれなかったのだろうが、それだけではなく作者の大野さんの人柄もあると思う。あとやたらと「女子」という記述が出てくるんだけど、これは大野さんがそこだけは譲れない部分なのかな。

 具合が悪くなってから検査を受けて難病とわかり、入院し、探りながら治療をし行政手続きをし、最後には自分から退院して一人暮らしを始める(ただし、病気は続く)。時系列通りに本は進んでいくんだけど、単に出来事をなぞっているだけではなくて、後半の「おしり流出」から恋そして退院へは文章にどんどん力が入っていくので、疾走感がすごい。感情を揺さぶられて、もう常に涙が出る一歩手前のような状態で読み進んだ。そして読み終わったあと、改めて「はじめに」で彼女がいう「絶望は、しない」ということがとても心強く思えた。

 

難病になったことについて彼女は「くじをひいた」と書いているけれど、これほどまでに大変なくじを引いても、生きていくのが人なんだなあ。

彼女の「エクストリームな」苦労とは比べようもないが、私も社会的には弱者であるので(非正規で貧困なシングルマザーね。あと、そこにいたるまでの諸々の戦いね。そして、戦いは続く)、現状の綱渡り感と、制度のめんどくささには共感した。

いつ、誰が、どのように「当事者」になるかなどわからないが、たいていのひとは何事かアクシデントに遭遇したり、病気になったり、老いたり、死んだりする。ギャンブルのように、ロシアンルーレットのように、宝くじのように。それらはあまり考えたくないことがらではあるが、あまりにも関心を持たず放置プレイをしすぎたため、「当事者」となったとたんに、砂のお城で「モンスター」と闘わされることになる。

我が家なんて私だけでなく誰か一人に何事かあれば立ちゆかなくなってしまうから。もちろん生き延びる方法はあるだろうけど、今と同じようには暮らせなくなってしまうだろう。でも、生きていこうと思った。