世の中への怒りだよっ!
お久しぶりです。
前回四月に「三年生が終わった」記事を書いてから「四年生になって一ヶ月が終わった」とか「一学期が終わった」とか書きたかったけど忙しくて書けませんでした。
五月から息子が週一で他校での通級に行き始めたので付き添いと、学童の役員をやっているのと、自治会の班長プラス役員もやっているのと、あと4月から仕事も増やしたか。あと習い事の送迎に追われていたり。学童の役員は勝手知ったる役で大変ではなかったはずが、今年度はいろいろと揉めていて大変になってしまった。一段落したけど。その他も「大変なんです!」と周りにぶちまけて、なんとか落ち着いてきた感じだ。まだ大変だけどね。
そんな大変な中、とにかく「食べて、寝る」ことだけは淡々と行い、体に不調も出たりしながら感じ続けていたのは「世の中への怒り」だった。
それは「大変なんだから何とかしてよ!」ではなく、「ウチはこのやり方しかできないんだから、助けてくれないなら放っておいてくれよ!」って感じだな。
別に誰かから実際に口を出されることなんてあまりないし、出されたとしても「ウチの場合」なんて全く知りもしなかったりするんだけどさー。でも「あ、知りもしない話か」というところまで聞くのだって疲れるのよ。「知りもしない話だな」と認識した後だって、それを聞くことによって何かは削られていくよ。
まあ朝ドラ見たり、「やすらぎの郷」見たり、通級の後仕事に行くとき少しだけ時間に余裕があるので、好きな道を通ってみたり(ペーパードライバーだった私がねえ)とかしながら楽しくやってますけど。
「ひよっこ」は今週の綿引さんの手紙の回以降、「やすらぎ」は八月に入ってからの録画をまだ見られてないんだけどさ…
綿引さん派すぎてドラマガイド買ったよ。
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三年生が終わった
息子の話です。
いやもう四年生が始まってるんですけどね。四年生がどう転がるかわからないけど、書いておかないと「三年生が終わった時点の気持ち」を忘れてしまいそうなので。
昨年、三年生の五月に担任の先生から「授業中落ち着きがない」「ノートの字が汚い」と言われ、そこからいきなり「薬でよくなりますよ」と言われ。その後学級崩壊して、教室自体がまったく落ち着かない場所になるんですけど。
まー走り回りましたけど。ちょっと今系統立ててまとめる気力がないのと、どこまで事実通り書いていいものか決めかねているので、自分の気持ちだけ書きますけど。
まず思うのは「担任の先生の態度、あれは一種の暴力なんじゃないか?」ということ。
別に私だって自分が常に正しいなんて思っていないけど、例えば、
「何が理由なんですかね?」と、納得できる理由が出てくるまで質問攻めにする。
休日に連絡なしに家に来る。
ってどうなんでしょう。例えばね(実際はそれ以上のことがあったよ!)。
あと保護者会で「この子たちは将来社会に出たらやっていけない」と言うとか。「100%間違ったことではないのかもしれない(だいたい将来のことなんて誰も予想できないし)が、教師という立場でその発言がなされたときに、親という立場で受けるダメージがものすごい」んですよ。それが積み重なると、自分で判断する力が失われていくんですよ。学童の保護者仲間に「実は、先生に薬を勧められていて」と相談したとき彼女たちは即座に「それは先生が決めることじゃないよね」と言ってくれてとても救われたんだけど、そういう当たり前のことさえ人に言われないと自信が持てなくなるくらい追い詰められていくんですよ。
離れた今は「自分はそんなに間違ってもいなかったな」と思えるけど。そういう、ある意味暴力ともいえることを行なっていいのか?というのは今でも思っています。だから、こうしてブログに書いています。
あと、今思っているのは…「通級の先生と面談してきたが、どうして通級に対してネガティブなことばかり言うんだろう」ということですかね。いきなり「通級に通っていることをどのくらい隠しますか?」と、Max隠す場合の例などを話されて落ち込んでいます。実際ネガティブに考える人もいるのかもしれないけど、私がそのように考えていないことは冒頭から話しているのにあえて説明して無駄に落ち込ませるって、意味があるんだろうか。説明責任?
困ったときにその都度考えましょうよ(…と言ってるのに「一応」と、一通り聞かされる)。
息子の状況については「人より少し遅れてるというだけじゃないのかな」と思っていますが、その遅れは「その学年でできるべきこと」から外れたものではないと思っています。ただ「字を書くこと」については困難があるのかもしれないとは思っていますが、何ともいえない状態です。今は。
あと、前にも書いたけど「いろんな人に、必要に応じた詳しさで説明するのが本当に疲れる」ってことです。
新年度になったのでまたいろんな人に説明しなきゃいけないんだこれが。今のところ、通級の先生と、新しい担任の先生と、新しい上司ですけど。あと引き続き元夫と私の母(私だけじゃ対処しきれないので)、職場の同じチームのメンバー(通級で抜けるので引き継ぎなど)。もー誰にどこまで話したのか忘れちゃっていきなり詳しく話しちゃって「は?」とかなっちゃってますけど。あと先生などの教育関係者以外からは、たいていアドバイスがついてきます。それどうしても私に言いたいっていうのなら一応お聞きしますけど、私がその通りにすることまでは期待しないでくださいね。本人に言え!(…と直接言ってますが)
そんな感じの現在ですが。教育センターの先生から年度最後に言われた「毎日笑って生活できる。それで十分だと思うんですけどねえ」ということが、本当に支えになっています。大丈夫だ!それなら自信がある。
それが学習がからむと「でも…」と落ち込みがちになってしまうけど、それは仕方ないだろう。
今年度も走り回っていこうと思います。
『カルテット』の思い出
『カルテット』終わっちゃいましたね。
とても寂しいですが、最終回のあの、それぞれの思い出がフラッシュバックする熱演と、これからも何とかやっていけそうな4人を見ていると、終わることを受け入れざるを得ないですね。
上の子供が小3なので、我が家では「家族で揃ってテレビドラマを見る」という経験がまだ少なくて。『真田丸』から「ドラマを続けて見る」ということを始めて、『逃げ恥』で「ドラマの感想をあーだこーだ言い合う」ことの楽しさを知って、そしてようやく時は満ちたというか!『カルテット』が大変良くできたドラマだったおかげで、とても楽しい時間を過ごすことができました。というわけで「我が家の『カルテット』の思い出」を書きたいと思います。
そもそも私は熱心にドラマを見る人間ではなくて、映画だってそんなに見に行かないし、高橋一生のことなんて『カルテット』を見るまで知らなかったくらいだ。何で見始めたのか覚えていない。『逃げ恥』最終回で『カルテット』の予告が出たとき「なんだかよくわからないな」と思ったのは覚えているんだけど。
それが、ネットの評判だったと思うんだけど、でもその評判をどこで見たのか覚えていないんだけど、「『カルテット』が面白いらしい」と知って2話から見始めたのである。そして何だか気になって2話は2回繰り返して見たけど録画は消してしまったのである。そのときは「面白い!」とまでは思っていなかった気がするんだけど、とりあえず3話も録画して。そして、2話を見た時点で「これは流し見するようなドラマではないな」と思っていたので、平日にとりあえず1回見た後、週末の夜に子供達が寝た後じっくりと2回目、3回目を見るという生活をしていたのである。今思うと、この時点でハマっていたといえる。
ある週末の夜に4話をじっくり見ていたら偶然息子が起きてきて、何だか興味を持ったらしく一緒に見たいというので、見た。そしたら息子はさらに興味を持ったようで、次回以降も必ず録画してほしいと言った。4話は家森さんの話で、家森さんの息子はちょうどウチの息子と同年代だし(リコーダーを習うのは小3からなので多分同じ小3)、ウチも離婚家庭なので息子の興味を引く話であるのは当然なのである。息子なりに思うこともあったようで、我が家の離婚についても聞かれたので、私は自分の思うことを話した。ドラマの感想も話した。私の感想は「あんな小学3年生の子、そういないと思わない?」だ。息子は何も答えなかった。よくわからない、あるいは自分と違う考えであるときは軽く聞き流すということを覚えたように思った。それは良いことだと思った。だってさー息子の周りにも離婚家庭の子は多いけど、離婚家庭の子が自分から「離婚」というワードを口に出すことはまずないよ。しかも当事者である親に向かって。でもそのあたりはドラマなので別に気にならないのであった。そんなこと言い始めたらほかのシーンだって当事者からしたら「こんなものじゃない」と言えるのかもしれないし。
さておき、息子がハマったので、私も堂々と一緒に録画を何回も見てあーだこーだ言い合う毎日が始まった。クラスでも何人か見ている同級生(でも『逃げ恥』ほど多くはない印象)や、教室が荒れているので支援に入っている先生と語り合っていたらしい。キーワードは、初期においては「巻さんは夫さんを殺したと思う?」だ。楽しそう!私は会社ではそこまで周りと熱く語れなかったので羨ましい…。
堂々と見ていると6歳で年長の娘も一緒に見ることになるのだが、他のことをしていたりしてあまり画面は見ていない。でも見ていないようで見ていて、タオルマフラーを首に巻いて「巻さんのマフラー!」とか言い出すから面白い。そして『おとなの掟』は皆で歌う。車で出掛けるとき、ウチの車のオーディオは調子が悪いので冬は30分くらい起動しないのだが、ずっと『おとなの掟』を歌いながら行ったことがあった。歌うとき「出だしは巻さんの声を真似して」とか「『滅びの呪文』のところは怖そうに歌う?」とか「『手放してみたい〜』のところは力強く歌いたいね」とか言い合って。特に息子には「歌い方を考えながら歌うのは楽しいよね!学校の音楽も同じだよ!楽器も同じだよ!」ということを伝えたかった。音楽(特に楽器)に苦手意識があるもので。
あと感想を言い合うことで少しでも国語に役立たないかとかね…。あまり本好きじゃないもので。しかし、決してお勉強で見ているわけじゃないけど、このドラマの登場人物の気持ちを的確に説明できたら国語なんて100点じゃないだろうか(答えは一つではないが)。
あと「大人は時にウソをつくものである」ということがわかったようなので良かったかなと。『カルテット』の登場人物は皆ウソをつきますからね。
とにかく2017年の冬にふさわしいドラマでした。別府さんが「僕は皆さんの、ちゃんとしてないところが好きなんです。例え世界中から責められたとしても、僕は全力で皆さんを甘やかしますから」って言うの、良かったなぁ。どこまでも自己責任で、「ちゃんとした」ことが求められる今日において、なんと心強い言葉だろうか!
最終回を見た後で「カルテットを見ていた」同士で話すときのキーワードは、「カルテット4人の中で誰派?」と「真紀さんは義父を殺したと思う?」だ。
私の答えは「真紀さん派!」「真紀さんは殺してない!」だ。
真紀さんの、どこまでも謎な感じがいいんだよなぁ。私は「こぼれたのかな」と真紀さんが言ったのは殺意のことで、実際に手を下してはいないと思う。でも、それにしてはすずめちゃんが深刻な顔で真紀さんを見返しているとは思う…。答えは一つではない。
あまり語られない苦労
あくまで、「私の周りでは、あまり語られない」苦労なんだけど。
子供の習い事の送迎が辛すぎます!
平日の夕方を週に1回と、土日の午前中なんですけど。
どちらも、昨年末から習い始めたんだけど、習い始めた当初は
平日の夕方は仕事後ダッシュで家に帰って息子を連れて習い事まで送り、娘を幼稚園(延長保育の終了間際)に迎えに行き、また習い事までダッシュで戻って息子と合流。家〜習い事、習い事〜幼稚園はそれぞれ車で20分くらい。ひたすら時間に追われながら運転している状態。
土日は、家から徒歩15分くらいの場所だけど、微妙に学区外で道中の交通量も多いので一緒に自転車または徒歩で送迎。
辛すぎました。しかも、複数の習い事の中から決めかねていたので、上記以外の場所にも見学に行ったりとか。しかもしかも、元々は元夫が「何か運動系の習い事をさせては?」ということで、私も息子にとって学校以外の居場所ができるのはいいことだと思ったから賛成したんだけど、元夫は平気でドタキャン・遅刻するんだこれが。私対元夫だけだったら、そんなのはさくっと無視するんだけど、間に息子がいるから話は単純ではない。息子にその習い事への興味を持ってほしいからと散々盛り上げておいた後でドタキャンされたら、そりゃさすがにかわいそうっていうんじゃないですかねえ。ということである程度引き受けて頑張ってしまいました。
今は習い事が確定したので調子が掴めてきたし、平日の習い事は送りをファミサポさんにお願いすることで多少楽になりました。土日はある程度一人でも行き帰りできるようになったし。元夫にも可能な限り登場してもらってますが、ドタキャン・遅刻の際はさくっと切り捨ててます。
で、で、でね、送迎してて思うのが、「みんな私よりも大変そうなのに、なんだか平気そうに送迎しているな?」っていうことなんです。
例えば選手系のコースの人で、週に何度も夜に遠くまで送迎とか。共働きなのに。その上さらに食事にも気を遣うとか。すごいなーーーと思いますね。
しかし私としては「平日の習い事の日は帰りに外食」としても釣り合わないくらい辛いんだよ!多分、単純に、やるべきことが多すぎるんだと思う。習い事以外の部分も一人でやってますんで。でも、自分と全く同じ状況の人はいないとしても、習い事の場で少しでも「辛い派」を見つけたい気持ち。
簡単に言ってくれる
ある日の朝、車で通勤中に、担任の先生から留守番電話で。
「今日の1、2時間目が書き初めなのですが、(息子)君が習字道具を忘れてしまって何もできないのです。学校に持ってきていただくことはできますか?」
あるいは、来年度の通級指導を受けるための面談で、教育センターの担当者(普段面談している方ではなく、市直轄の通級関係担当者)から。
「お母さんがたまに学校を覗きに行って、そこで良い様子が見られればどんどん褒めてあげれば良いんじゃないですかね」
わー、簡単に言ってくれる!!
もちろん仕事より息子の方が大事だけど、母子家庭なので仕事もものすごく大事なんですよ。
簡単にやっているように見えるかも知れないけど、そのために職場でどれだけ苦労しているか。どれだけ後ろ髪引かれることがあるか、少しでも想像したことがあるんですかね。あるなら、もう少し労ってはくれませんかね。
簡単じゃないですよ、ちっとも。
ジンクスを信じているわけではないけれど
ここでいうジンクスとは「富士山が見えたら○○」などでは、ない。
朝、娘を車で幼稚園の早朝保育に送っていった後、職場に向かうのだが、「幼稚園の保護者証を早い段階で首から外した日は、渋滞に巻き込まれることなくスムーズに職場に着く」というものである。
でもなーこれって「保護者証を外すのを忘れるほど慌てているときはそもそも時間に余裕がなく遅刻気味なのだ」ってことかもしれないんだよなー。
だからいつも「そうだ保護者証!外せば早く着くかも!でも気のせいのような気がする!」と何だかわけがわからなくなりながら車を走らせているのだが、スムーズに着けたときの記憶は良い記憶だからそればっかりが上書きされ…ているんじゃないのかな?どうなのかな?よくわからないなー。
でもそれももうすぐ終わる卒園ー。
富士山を信じられるようになった
といっても山岳信仰などというほどのものではなく。
車での通勤途中に富士山が正面から見える場所があるのだが、最近になって、見える富士山を「良い」と思えるようになってきたのだった。
ここは埼玉のとある場所なのだが、富士見通りとか富士見橋とかいう地名があることからわかる通り、この辺りから富士山を見ることはできるのである。
でも今まで富士山を特別な思いで見ることはなかった。
この通勤路だって3年使っているのに、富士山を意識して見ることはなかった。たまに見えるときに、今日は見えるな、くらいのもので。
それが最近は、特にきれいに見える日が続いたからなのか、たまに見える富士山が良いものに思えてきたのである。なぜ良いのか?それは「大きくて美しいから」だと思う。あと、毎日見られるわけではないからかも(今日は晴れていたのに見えなかった)。
でも、毎日見られるとは限らないものが良いのなら、水の出る基準がいまいち不明な近所の公園の噴水だって有難いはずで、それがそうでもないということはやっぱり「大きくて美しいから」なのだろう。
だからといって「登りたい」というほどまでには考えがまとまっていないのだが、富士山が見えたときには「良い」と思いながらハンドルを握っているのである。
なんならニヤニヤしながら。