1973年のピンボール(800字感想文)

※ネタバレしています。
 
 
「1973年9月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。」
 
1973年9月とは、「僕」の家に配電盤の工事人が来た頃。双子は、少なくとも「僕」が直子の故郷を訪ねる1973年5月には「僕」の家に住み着いている。工事人が置き忘れた配電盤の葬式を双子と共に終えた後、物語が動き始める。「僕」はピンボールのことを考え始める。
「僕」にとってピンボールとは何なのだろう。ジェイズ・バーでの鼠との思い出。直子が死んだ後の1970年冬、「僕」はピンボールの魔力に取り憑かれる。ひたすらボールを弾き、スコアは15万を超える。それは、かつて鼠とピンボールをプレイしていたときには到底到達できるとは思えなかったスコア。そして「僕」は「彼女」と対話する。
「あなたのせいじゃない」
「そうかもしれない、でも何ひとつ終わっちゃいない」
「終ったのよ、何もかも」
これは直子が死んだことに対する「僕」の自問自答だと私は思う。しかし、なぜピンボールは女性でなくてはならなかったのか?それはこの声が「僕」自身の心の声であることは確かであるものの、少しだけ直子の心の声をピンボールに託したのだと思う。自分以外の者から「あなたのせいじゃない」と言ってもらうこと、「僕」にはそれが必要だったのだ。
しかし1971年の2月、ゲーム・センターは取り壊され、ピンボールは消えてしまう。「僕」の自問自答は中断される。
 
1973年11月、物語のクライマックスで「僕」はピンボールの彼女と再会する。
「辛い?」
「いや、と僕は首を振った。無から生じたものがもとの場所に戻った、それだけのことさ。」
そして「僕」は「彼女」に別れを告げる。「僕」はもうピンボールが気にならなくなる。
この部分は「僕」がピンボールとの対話によって気持ちを整理したのではなく、すでに整理されていた気持ちを再確認したのではないか。気持ちを整理させたのは、仕事や新しい出会いではなく、時間の経過だと思う。そして僕は暖かい思い出を抱えて生きていくのだ。
 
「良きゲームを祈る(ハヴ・ア・ナイス・ゲーム)」
 
 
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『1973年のピンボール』を読んで孤独について考える - 見て見て!書いたよ!