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『ダス・ゲマイネ』以外

新調文庫の『走れメロス』には『ダス・ゲマイネ』以外にも9編お話が入っているんだ。しかもどれもすごく面白いよ!というわけで「以外」の感想だよ!9編まとめて800字には収まらないけど1編につき800字も語れそうもないので好きに書く、って感じでいいよね。え?何で『ダス・ゲマイネ』の時と比べて語り口が軽いのかって?それは『ダス・ゲマイネ』の時に真面目に書き過ぎた反動だよ。まるで盆栽のようにきっちり整えまくったからね。あ、ネタバレしているからよろしくね。

掲載順にいくよ。まず『満願』。実はこの本を読み始めたとき『ダス・ゲマイネ』は少し長いので、次に載っている短い『満願』から読み始めたんだけど、好きになれなかった。そして『ダス・ゲマイネ』に戻って読み始めたらすっかりはまったわけなんだけどさ。『満願』は朝の、白いパラソルの、爽やかな場面を描いているのに読んでいる側は全くすっきりしない話だ。それは太宰が「善玉悪玉論」「奥さんのさしがね」などのキーワードを提示しておきながら、それらをわざと放り出しているからだ。しかも、放り出して失敗していると思うんだ。失敗というか書かないことによって見せるのが上手くないというか。肝心の「何を『固く禁じた』のか?」「なぜ、喜んでいるのか?」もだ。まあ「夫婦生活」のことなんだろうなと思いながらもそのコミカルな喜び方の描写に疑問を感じてしまう。ちっとも爽やかでない。「さっさっ」「くるくるっと」なんて爽やかそうに言われるほどに重く重く感じてしまう話だ。
富嶽百景』は、後で出てくる『東京八景』『帰去来』『故郷』と同じ、太宰治を主人公とした私小説。太宰のいつもの感じの私小説、といって伝わるかわからないけれど、いい感じに力が抜けていて気楽に読める。そして「津軽出身の津島修治」ではなく「作家太宰治」が主人公なので、過剰なくらいに読み手へのサービス精神に溢れている。やり過ぎな気もするが面白い。「やっていやがる」!私も、げらげら笑った。本当に。
『女生徒』。私はこの女生徒に全く共感できない。こんな風に何かをずっと考え続けながら一日を送っている人なんて本当にいるのか?私は目で何かを見ていても頭では何も考えていないことも多いので、女生徒の思考の広がりについていけない。考えている内容も人を見下しているようで好きになれない。「起こったこと」と「考えたこと」とをつなげて、全て女生徒の独白として書いているのがすごいと思うけど、好きになれないのでまるで苦行のように読んだ。言葉が古い、というのもあるかな。といいながらこの文章も『女生徒』のようになっている気がする。違うよ!『駆込み訴え』を目指しているんだ。
『駆込み訴え』。この話はこの本の中で『ダス・ゲマイネ』の次に好き。あれだけの長さ(文庫にして18ページ)の物語を語り口調で一息に読ませるってすごすぎるよ!!私なんてここまで1200字にして息切れしてます。「あの人」に対する愛と憎しみの両立ぶりが見事で、読んでいるこちらまで苦しくなってくる。全編悪口なんどけどペテロやヨハネに対する貶し方と「あの人」に対する貶し方は決定的に違っていて、「あの人」への方には愛があるのだ。終盤の混乱ぶり、「あの人」が「あいつ」に変わり、小鳥の声が気になりだし、金を受け取る受け取らないと揺れた後、ついに金を受け取ってネタばらし。このスピード感がすごい。そしてこの揺さぶりを太宰は計算して行っている。なぜなら終盤の残り3ページ目に入るまでは、悪口だらけなのに「あいつ」という呼び方は一回も出てこない。それが一度登場した途端、一気にギアチェンジして、スピード感の中で終幕となる。見事すぎ。
走れメロス』も文章が本当に上手い。「メロスはなぜ激怒しているのか」を1ページで説明してしまう書き出しには無駄が一切ない。でもお話としては、教科書で読んだ中学時代と変わらず、好きではない。だって濁流がなければメロスは間に合っていたんだもの。それを人間の弱さとは、みたいに言われても納得できない。だけど「メロスを間に合わせた」のは、太宰の人間性というか物語に向き合う姿勢を表していると思う。「間に合わない」可能性は暴漢の登場する場面でちらっと伺えるが、そちらには傾かせないぞという強力な意思を感じる。その姿勢は好きだ。
『東京八景』。これも「作家太宰治」を主人公とした私小説。ここまで読んできてすっかり太宰好きになった者としては、書き出しの一文を読んだだけでわくわくしてきてしまう。ただし、内容は重い。上京してから現在に至るまで、自殺未遂や薬物中毒の時期のことも書かれているからだ。普段のユーモアの方向にはなかなか傾かない。女との会話や自分自身の気持ちを語る、吐き捨てるような短い文章に、吐き出す辛さを感じる。もちろん、全てを吐き出しているわけではないと思うが。例えば、昭和10年の秋について、この頃は薬物中毒だった、それはわかる。そして何も書けなかった、と書いているんだけど、いやいやその時期に『ダス・ゲマイネ』を書いてますよね?巻末の解説によると『ダス・ゲマイネ』はその年の8月に決定された芥川賞次席者に依頼され、10月に発表されたものなので「紙袋の中の作品群」とは違いますよね?このあたり、巻末の年表を何回も見返しちゃったよ。多分、事実をもとに書いてはいるが、書きたくない部分もあるし、あえて正確に書いてない部分もあるんだろう。ていうか『ダス・ゲマイネ』について触れられていないのが寂しいだけなんだけどね。昭和9年に同人誌を作り一冊だけで仲間は解散したが、仲間のうち2人と意気投合して3馬鹿と呼ばれた、なんて絶対『ダス・ゲマイネ』の下敷きになってると思うんだけど。あと、終盤の妹とのやりとりは、『メロス』入ってるなと思った。終盤はユーモアが復活している。
『帰去来』『故郷』は一つにまとめてしまうが、太宰治を主人公とした私小説。ただし「津軽の津島修治」の方だから、太宰治本人も誠実に書こうとしているし、ユーモアは控えめだ。でもどうしても、悪い癖のようにユーモアに傾くこともあるけどね。『帰去来』で10年ぶりに帰郷して、翌年の秋に母の容態が悪いとのことで『故郷』で再度帰郷、そして生家と和解となるんだけど、『故郷』の最後、母親が亡くなる場面などは書かれないんだよね。直前までで。きっと亡くなったんだろうなと思いながら巻末の年表を見ると「12月、母死去」とあり、やはり、と思っていると翌年の1月にもう『故郷』が発表されていて驚く。こんなに早いタイミングで発表したのはなぜなのか、私にはわからないが、常に自分を見つめて作品にして発表するという、作家の業のようなものを感じた。


おまけ。

gigazine.net

 この記事を読み、サンプルとして表示されている『走れメロス』をテキストマイニング解析した結果のワードクラウドがあまりにも美しく、そして物語を読んだ印象を的確に表していたので感心しました。
そう、『走れメロス』はとにかく「メロス」で始まる文が多くて、暴君とセリヌンティウスの扱いは同じくらいだよなと(「濁流」もしっかりあるのが笑える)。
 
そして『走れメロス』と同様『ダス・ゲマイネ』も青空文庫にあるのでテキストマイニングしてみました。読んだ印象から、きっと『メロス』ほど美しい結果にはならないだろうなと思いながら。
結果はこれ。

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「馬場」中心すぎ…!