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『おそ松さん』が終わってしまった

アニメ 日記 育児

書けずにいたら少し前のことになってしまいましたが…

『おそ松さん』が終わってしまいました。
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娘作・松野家6兄弟
 

大丈夫、1ヶ月経っても松ロスは全然癒えていないから。本当に第6シーズンまで続いてほしいと思っていたので、終わったことが受け入れられない。受け入れられずに月日が流れて3年後くらいにある日突然「そうだ、終わったんだ」と受け入れられそうな気がする。
1月の「十四松まつり」から見始めたので、ほとんどリアルタイムでは見られなかったんだけど、その次の「逆襲のイヤミ(イヤミカート!)」からは録画を必ず保存して繰り返し見、第一松からのDVDも買ったりレンタルしたりして見ている。そして我が家のドライブのBGMはこれだ。

 

 

 

SIX SHAME FACES ~今夜も最高!!!!!!~

SIX SHAME FACES ~今夜も最高!!!!!!~

 

 

 

 

このCDには第2クールのエンディング「今夜も最高」の全員バージョンと各松バージョンが入っているのだが、このCDを聞いていて思うのは我が家の『おそ松さん』の楽しみ方は「見分ける」楽しみにあったということだ。
「今夜も最高」では、同じシチュエーション(気になる女の子と偶然の出会い…からの自己アピール、「夢をみせてよ!」と言われたら。大体ジャケットからして「各松が花を持つとしたら」の絵だ)に対して兄弟がそれぞれ違った反応をするのだが、それを聞いて「やっぱり『おそ松』ならこう言うよねー」などと楽しむ。それは自分の読みとキャラクターの言動が一致していた場合だが、何と、一致していなかった場合も「そっちだったか!」という感じで意外と楽しいのである。自分の想定しているキャラクター観を超えない中での外しだからこそ楽しめるんだけど、最終的には「見分ける」ことさえできてしまえばもう松たちが何を言っても楽しい、という状態になってしまうのである!つまりはただのファン。
あー本当にするめのように楽しめるなー特に第1クールなんてあえて見分けがつかないようにしている場面が多々ある(ように、第2クールから入った私には見える)からなぁー。いや、「見分ける楽しみ」というのは古今からのオールスターものやアイドルにもあると思うけど、大前提である物語とか歌とかを無視して「ただ、見分けること」のみが快感に直結し、しかもそれがすごく面白いという『おそ松さん』って偉大と思うんだけどなあ!!
 
とはいえ、ですよ。
以前書いたときは「子供と一緒におそ松さんを見ているのなんて我が家だけではないか…」と思っていて、学童にウチ以外に見ているらしい家庭があった!と動揺していたが、その後になって他にも見ているらしい家庭の話を息子から聞いたり、娘の幼稚園に顔を出したときに園児から「ぼくねーチョロ松が好きー」などと話しかけられたりしたこともあってすっかり慣れてしまった。何だ、見ている家庭はそこそこあるじゃないか(さすがに松グッズを持っている保護者は見つけられなかったが)。
でも、幼稚園児にまで見つかってしまったら、元々が深夜アニメであった以上、一次コンテンツとしての『おそ松さん』は終わるしかなかったのではないか。
 
 
 
…とでも考えないとやりきれないですよまったく。
さ〜びしい〜〜なぁ〜!(泣)