富士山を信じられるようになった

といっても山岳信仰などというほどのものではなく。

車での通勤途中に富士山が正面から見える場所があるのだが、最近になって、見える富士山を「良い」と思えるようになってきたのだった。

 

ここは埼玉のとある場所なのだが、富士見通りとか富士見橋とかいう地名があることからわかる通り、この辺りから富士山を見ることはできるのである。

でも今まで富士山を特別な思いで見ることはなかった。

この通勤路だって3年使っているのに、富士山を意識して見ることはなかった。たまに見えるときに、今日は見えるな、くらいのもので。

 

それが最近は、特にきれいに見える日が続いたからなのか、たまに見える富士山が良いものに思えてきたのである。なぜ良いのか?それは「大きくて美しいから」だと思う。あと、毎日見られるわけではないからかも(今日は晴れていたのに見えなかった)。

でも、毎日見られるとは限らないものが良いのなら、水の出る基準がいまいち不明な近所の公園の噴水だって有難いはずで、それがそうでもないということはやっぱり「大きくて美しいから」なのだろう。

 だからといって「登りたい」というほどまでには考えがまとまっていないのだが、富士山が見えたときには「良い」と思いながらハンドルを握っているのである。

なんならニヤニヤしながら。