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2016年は、とにかく大変な一年だった

あけましておめでとうございます。

 

毎年大晦日に一年の振り返りを書いていますが、今年は元日早朝から用事があったため、夜遅くまで起きていることができませんでした。だから1日にこうして書いています。この後も別な用事があって出掛けなくてはならないのでギリギリ感としては「大晦日に年が明けるまで」と変わらない、しかもパソコンの調子が悪いのでスマホで書かざるを得ない。ギリギリ感大好き!

 

2016年の大変さを思う前に。

スマホの写真を整理していたら出てきたのですが、2016年の4月に母親の還暦祝い旅行で行った箱根神社で、こんなおみくじを引いていたのでした。

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悪い運勢だねー。特に「理ありても負ます」にグッとくるなあ。別に神を信じているわけではないけれど、結構言い当てられていたんだなあと思った。ここからの流れで今年のおみくじがどう出るのか興味あるなあ。

 

2016年に何が大変だったかなんですが。

一つ目は、年度の終わりも終わり、3月末になって、昨年度私が務めていた学童のとある行事の運営をめぐってあらぬ疑いをかけられたことです。

確かに運営がまずい部分が全くなかったわけではないが、私一人で運営していたわけではなく、他の委員や前年度の委員長と協力しながら行っていたことであったので寝耳に水でした。結局誤解だったのですが、どうやら私の知らぬところに知らぬ人間関係があるようで、その中に巻き込まれてしまったようです。当時のメールを見ると「よくやったなあ」と涙が出そうになります。当時は「もっと怒るべきだったかな」と思っていたけど、今思うとそれでも怒りすぎてしまったのかもしれない。事情を知らない人からすると「よくわからないけど何かをやらかしたらしくて、何か怒っている人」になってしまった。

でも、まあいいやー。保護者全員に事情を説明して回るなんて無理だし。後で知ったことだけど、当時は話せなかったけど気にかけてくれていた人、わかってくれていた人はいたから。この出来事から「他人にどう思われようと知ったことじゃねえ!」ということを改めて学びました。

 

二つ目は、このブログにも度々書いている息子の教育問題です。本当に迷い、考えぬいた一年でした。

一応前回の記事が「辛いこと(先生編)」のまとめのつもりだったのですが、近々「元夫編」を書く予定です。っていうか2016年度のうちに書こうと思っていたけどその暇がなかった。息子のことで話す機会が増え、距離が近くなっているのがとても辛いです。

 

以上二つが「2016年の二大大変だったこと」です。あと、健康状態が悪いです。職場、学校、教育センターを回る日々に加えて、息子が習い事を始めたので送迎に追われる日々。加えて子供たちの通院など。そんな生活を続けていたら、目やにが止まらなくなりました。かなり酷かったので眼科に行ったらアデノウィルスも疑われ、隔離されて眼をグリグリされたのですが結局原因は不明。目薬で治ったもののしばらく経ってからまた無理をしたところ目やにが止まらなくなったので、どうやら私は無理をすると目やにが止まらなくなる質なのだということがわかりました。

…などと言ってる場合ではなく、倒れないよう早急に対策をとろうと思います。

 

あと、そんな大変な中でも「書くこと」が自分を助けてくれたと思います。教頭先生にお手紙を書いたり、仕事を抜けなくてはならない中で急ぎのメールを書いたり。だから、今年もこのブログは細々と続けていきますよ。

今年もよろしくお願いします。

目の前が開けたと思ったら、そこはなにもない広野だった

息子が教育センターで発達検査を受けて、その結果が出ました。

まず、「発達障害などの診断はできない」のね。病院ではないから。

その上で結果を見ると、「全体的に、平均よりやや低い」という感じ。大きい凸凹はないものの、平均より低い部分があって、その部分についての説明を聞いて「なるほど」という感じ。

 

「低い部分については、学校に支援を求めてもいいかも」と言われたものの、何をどう求めたらいいのか全くわからない!

目の前はものすごく開けたけれど、何もない!真っ平ら!…という感じです。

検査の結果について、基本的には教育センターの方から担任の先生に説明することになっているというので、ぜひ、とお願いしました。検査項目の内容については自分でもお勉強するとして、具体的なことについては先生が説明を受けてから、何ができるか打ち合わせですかね。

 

担任の先生ね…。

担任の先生とのことについてはいろいろ書いてきましたが、またやってくれました。

私はちょくちょく授業を覗きに行っているのだが、元夫も私とは別に見に行ったんですよ。そのとき担任の先生と話したのだが、そこでまた「薬を飲ませては」という発言があったという。

半年前から何も変わっていないじゃないか。私がいろいろ考えたり、先生に相談しながらやってきたことに意味はなくて(というと大げさかもしれないが)、薬で全て解決できるでしょ?という考えですかそうですか。しかもその翌日に保護者会があり、その席で先生は「いろいろな特性を持ったお子さんがいるが、どんなお子さんにも学ぶ権利がありますから。それに、このクラスでは子供達がお互い助け合っていますから大丈夫です。」と言ったので私はすっかり訳がわからなくなってしまったのであった。

 

訳がわからないが、でも、傷ついたことは事実なので伝えたいと思って教頭先生にお手紙を書きました。さくっと。それ以外にもいろいろあって、一応、担任の先生からは謝罪をいただたきました。

でも、それだけじゃないからね。謝罪して、そのことにだけ気をつければOKと思われても困るし。だから担任の先生に対しては、

担任の先生と闘うことにしました。

闘う、というのは先生に対して何か物申すということでは(まだ)なく、

先生を心から信頼して、指導されたことについて真剣に検討する…ということはできない、という方向に気持ちを変えるということである。

のスタンスで変わりなしなんだよね。物申すようにはなったけど。

なんだ、答えは既に出ていたじゃん。

(でも、担任の先生を疑ってもいいんだとか、学校に物申してもいいんだとかは、頭ではわかっていても実際にやるのはなかなか大変なんだよ。フツーの親ですから。)

 何回も裏切られているのに、担任の先生が検査の結果を聞いて何かが変わらないかな、と思うのはおかしな話なのかもしれないけど。それでも信じたくなるのは、元夫に結果を話したときの反応が劇的だったから。

元夫は子供時代IQが高かったらしいが(もちろん元夫が受けた検査は今回息子が受けた検査とは違うだろうけど)、息子のIQの数値を見て、息子と自分とは違うのだということをはっきりと理解したようだった。あと、この部分が低いから長々とお説教しても響かないとか、この部分が低いから漢字の書き取りが苦痛だとか、そういうことが腑に落ちたようだった。数字ってすごい。

 

ところで息子本人はといえば、いろいろあって、元夫や教育センターの先生が驚く勢いで精神的に成長しています。その話はまた別の機会に。

息子の友人に騙される

息子に、ではなくて。いや全然シリアスな話ではないんだけど。

 

先日夕方、私は仕事が休みだったので息子は学童に行っておらず、息子の友人が数人遊びに来ていたのだった。

私は用事で家を出たり入ったりしていたのだが、途中家を出ながら「ところで宿題やったの?」と聞いたら「やったー」と返事があったので、やったものだと思っていたのだった。

そしたら夜寝る前になって、やっていなかったことが判明。やったって聞こえたけど?と聞いたら、友人が勝手に答えたのだという。

そのパターンか!

ちっとも気づかなかったわー!

っていうかやってなかったんなら友人が帰った後にすぐ取り掛かりなよ!

 

まあそんなことがあっても別にいいんだけど、自分が「こんな家族を作りたい」と思っていても子供がそう思っているかはわからず、その通り動くとも限らず。また今回みたいに、子供達以外の横槍要素もあり。もう何が何だかですね。

ちなみに私が憧れているのは、映画版『海街diary』の四姉妹の家族です。みんなそれぞれ自立していているがお互いをよく見ていて、必要とあらば助け合うみたいな。そして、家事はみんなで分担する(ここが大事!)みたいな!

漫画版の家族のあり方もおおむね上の通りではあると思うが、映画版の方が実写だけにより説得力があるんだよね。 

 まああの姉妹の少なくとも上三人は思春期を乗り越えているからあの空気感が成り立っているわけだけどね。ウチはこれからだけどネー。

 

空中庭園』の家族じゃないよ!

教頭先生に会った

前回の記事の続きです。

教頭先生に会いました。

といってもいきなり「教頭を出せ!」と学校に怒鳴り込んだわけではなくて、まず教育センターに、担任の先生から言われたことや私が授業を見て感じたことを伝えて、「学校全体として息子の授業態度を問題と捉えている」なら上の先生を、ということで学校に話をつけていただいた上で会っていただいたのです。

きちんと手順は踏んだと思っていますが、それでも「教頭先生を呼び出してしまうなんて、自分はモンスターペアレントなのか?」と考え続けています。これが「対学校」じゃなかったらこんなに悩むことはないんですがね。

 

そして話した結果。

話のわからない人ではないと思った。こちらの思っていることは全て伝えた。担任の先生とのやりとりでこれまで疑問に感じていたことも、はっきりいって異様な教室の状態についても全て。伝えたんだから、どう転がってもいーやという気持ちですね。今は。

その上で、担任の先生や教育センターの先生とは違った視点からみた息子への働きかけ方を、話し合いの中から見つけることができたので良かった、のかな。今は。

流行りのサンシャイン

つらい…。

これからこのブログは、つらかったことを書くブログになりました。(ブログのページとページの間に向かって)イエェェーーーイ!!!

 

何がつらかったかというと、息子のことなんですが。

相変わらず月に1回教育センターに通って相談することを続けているのだが、そこでの様子、家での様子、学童での様子は落ち着いたものであるし、担任の先生からの連絡もあまりなかったので「すっかり落ち着いたのだ」と思っていたのであった、私は。そしたら先月、担任の先生から学校に呼び出されて「息子の授業態度が1学期より悪化している」「(クラス自体が落ち着かない状態なので補助の先生が入っているのだが)補助の先生の手も焼かせている」ということで、「学校全体の意見として、息子の状態にはとても問題がある」と言われたのだった。

「学校全体」というのがつらい。

 

「とにかく一度学校に見に来てください」と言うので見に行ったら、学校以外での様子と全然違っていたのでとても驚いたのだった。だから「これは腹を括って、できることを真剣にやるしかないな」と思った。そして実際に動いている。近々発達検査を受けるし、担任の先生の話で納得がいかないことについては「大人の対応」を心掛けてまずは話し合い。教育センターを通じて担任の先生以外と話せないか探り、授業の様子をもっと見に行きたいが私一人で何回も行くのは大変なので元夫にも見に行かせて意見を聞き(元々、教育センターに通っていることや担任の先生から指摘されたことについては共有している)、職場でも話し、家でも宿題をより注意して見たり、学校での様子改善につながるような声掛けをしたりしているのであった。

だから、やるべきことはやっているのである、でもそれをこなすこと自体がきついし、その中で誰にも言えず自分の中に収めざるを得ないことが多々あるのがつらい。だから箇条書きにして吐き出しておこうと思う。

  • 元夫に詳しい経緯を説明し、かつ実際に学校に行ってもらうようメールにまとめるのが大変だった。対面で直接説明すれば早いができるだけ会いたくないし。でも結局対面で話し合わざるを得ない面もあるので話し合ったりしているのだが、ものすごく消耗する。
  • 職場でも、同じチームの人たちに簡単に経緯を説明したのだが、元夫そして職場と、場に応じて詳しさのレベルに気を遣ってまとめて説明するのにそろそろ疲れてきた(だからブログでまで経緯を詳しく説明しないで「辛かったことのみ」を書くよ!)。
  • 担任の先生が面談で「クラスには息子以外にも教育センターに通っているお子さんもいるし、子供と私(先生)とでこのように(具体的な個別対応の内容)対応しているお子さんもいる」と言ったので耳を疑った。その場では嫌さをうまく言葉にできなかったので家に帰ってから数日悩んだ。そして、やっぱり自分の子のことを同じように他の人に話されていたら嫌だと思ったので連絡帳にその旨書いたら「守秘義務がありますのでご安心ください」と返事があった。とんちかな?
  • 担任の先生が、息子が集中できないのを「確かに、暑かったり教室が騒がしかったりすると授業に集中できないのはわかる。でも他のお子さんは我慢できていますから」と言う。そうすると私は「他のお母さんはできていますから」と言われているように感じてしまう。例えば夜もっと早く寝かせるとか、朝食をもっとたくさん食べさせるとか。

担任の先生については「今度はわかってくれるかもしれない」と思いながら会話して、結局わかってもらえず落ち込む、ということを毎回繰り返している。信じたいんだ、私は。だって超ベテランで、自分の親ほどの年の「先生」と言われる人が、まさかわかってくれないなんて思いたくない。

でも、会話のボールを投げても投げ返されず、先生の想定と違う答えをこちらから返すと先生はフリーズする。そして次に話すとき、また同じ話の繰り返しになる。こちらの答えというのはそんなに突拍子もないことではなくて、例えば「お一人で働いていて忙しいから、勉強を見る時間はないか!」とか、「お母さん、『ダメな子だ』って思わないでくださいね」とか(どちらも「そんなことはありません!」)。最近になって「お母さんが『ウチの子に限って』と言わず動いてくださって良かった」とか。私、最初から変わらぬスタンスで動いてるつもりですけど。

何だか、先生の想定する「働く母子家庭の母像」があって、それ以外を想像できない、というより想定と外れていたときに修正ができない。それで毎回「で、どうお考えですか?」と聞かれて、その都度説明するのが本当に疲れる。

どーしたものですかねコレ。バッティングセンターにでも行くしかないか。

すべてが言葉になるとは限らない

この件で思ったこと。

中学校教師の「保健室に通うやっかいな子」という相談に対しての回答が素晴らしいと話題に - Togetterまとめ

対大人だったらこの教師の「医者に行け」という対応は間違ってはいないが、保健室登校しているような子に言ってもね。上野先生の言い方もキツイけど、私は教師側より上野先生の回答に共感するな。

2016/09/29 06:54

 

 相談や回答の内容に対してこれ以上思うことはないんだけど、読んでいて「そう!」と思ったのは上野千鶴子さんの回答のこの部分。

子どもは 自分の問題を訴えるのに「ボキャ貧」ですから、カラダの不調で訴えます。

「ボキャ貧」!そうなんですよ!別にウチの子供が自分の問題をカラダの不調で訴えてきたわけではないのですが、思い当たることがあるんですよ!

 

それは息子の夏休みの宿題の感想文なんですが、今年息子はそのほとんどを平仮名で書いたんですよ。昨年はもっと漢字を使っていたし、今年だって、ノートや連絡帳では漢字を使っているのに。

確かに漢字は苦手だけれど、書いている内容は進歩しているのに、漢字についてだけ退化(?)することなんてあるのだろうかと疑問に思って先月の教育相談で相談してみたところ、「それは文字数が足りるか心配だったんじゃないですかね」とのことだった。そして「そんなお子さんは結構いますよ」とも。

そう言われれば、昨年は原稿用紙2枚だったんだけど今年は3枚に増えたんですよね。そして、書く様子を見ていたら、2枚目までは明らかに不安そうに書いていたのが3枚目はホッとした様子だったんですよね。

「なんで平仮名で書いてるの?」と聞いても何も言わなかったんだけど、言いたくなかったというより「文字数が足りるか心配」という気持ちをうまく言語化できなかったから何も言わなかったのかもしれない。その場合「言語化できない」ということに本人は思い至っていないわけだからこちらとしてはうっすら推測するしかないし、その推測が間違っている可能性だってあるから本人には何も言わない。

 

個人的には「思ったことを何でも口に出す家庭」に憧れているのだが、言語化できていないんなら全てについて口にしてもらうのは難しいですね。っていうかそんな家庭について考えていると『空中庭園』みたいな家庭になりそうで怖いのでいちいち聞き出そうとするのはやめよう。 

空中庭園 (文春文庫)

空中庭園 (文春文庫)

 

 っていうか自身の浮気により家庭内が荒れている状況で、浮気されている妻にこの本(浮気する夫もされる妻も出てくるよ!)を勧める夫、って頭がおかしいとしか思えませんね。離婚して3年目にして唐突にそんなことを思い出して腹が立ってきました。そんな頭がおかしい世界が本当にあったんだから、まったくまったく。

可能性のなさがつらい

昨日の話なんですが。

我が家の朝はいつもバタバタしているのだが、昨日は家を出る直前に娘が鼻血を出し、ギリギリではあったものの多少時間はあったので手や顔を洗うなどの始末をし、でも走ったりするとまた鼻血が出そうだったので抱っこで車まで走っていたのですが。

ふと横を見ると10分前に出発しているはずの小学生の登校班がまだそこにいる。いつも登校を見守ってくださっている近所の方がいたので話を聞いて見ると、ウチの息子が「みんなと一緒に行きたくない」と言っているという。

わーすみません皆さんは行ってくださいと息子以外の子供達を出発させ、息子には少し待つように言い、娘を運び、荷物を運んだ後、息子に話を聞いてみると、水筒を持っていっていいのは9月いっぱいまでだったのだが私が間違って持たせてしまい、息子も間違って持っていき、登校班の集合場所に行った時点で間違いに気付いたので水筒を家に置いてきたのだが、水筒を持ってきたことを皆に「ズルイ」と言われたのが嫌だったという。この辺の経緯は息子からしか聞いていないので「皆にきつく言われた」と言っているがどの程度なのかわからないし、実際に「ズルイ」というワードが出たのかもわからないんですが(間違って持って行ってしまったことへの負い目もあって重く受け止めてしまった可能性もある)。

ウチは学校から近いので、話を聞いている間に心配した教頭先生が様子を見にきてくださり、その時点ではまだ息子は落ち着いていなかったので教頭先生には落ち着いてから行きますと言い、話を聞き終えたら息子も落ち着いたのか「じゃあ行くね」と行く気になったのだが息子の小学校は子供1人での登校は禁止なので娘を待たせて学校まで送って行ったのであった。

 

その後ひたすら「つらい…」と思いながら仕事に行ったのだが、何がつらいって周りに迷惑をかけてしまったことはもちろん、それ以上に、学校に向けて足を踏み出すのは息子であって、私には声を掛けることくらいしかできないってことですね。その可能性、というか選択肢のなさがつらい。

 

でも仕事をしながら考えていると「しょーもねーな」という気がしてきて。間違って水筒を持っていってしまったことも、「ズルイ」というワードを使うことも、そのワードを気にしてしまうことも。

夜、すっかり立ち直っていた息子にもう一度詳しく話を聞き、「間違って持って行ってしまったけど、すぐに気付いて家に置きにきた。素晴らしい対応ではないか」「来年はお互いに絶対気を付けよう」という結論に至りました。

そして「クラスにも水筒を間違って持ってきた子がいたんじゃないの?」と聞いてみたところ「何人かいた」と。ほらーうっかりしてるのはウチだけじゃないんだからもう(一安心)。そしてさらに「その子たちのことをズルイと思った?」と聞いたら「別に思わない」と答えたので、「そうだよね。それじゃあ『ズルイ』とか言ってくる人のことも気にすんな!」と話してこの件は終わりにしました。