書きたい、という気持ちが確かにある

もうすぐ8月20日がきてしまう。

8月20日とは?1年前にこのブログを始めた日です。

 

読者の皆様、お久しぶりです。久しぶりに皆様の方を向きます。

突然ですがここでこのブログの1年間の月別の記事数をご覧ください。

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少なっ!

なぜこんなに少ないのか?ワーキングプアなシングルマザーで毎日忙しいから?それなのに学童の保護者会の役員を引き受けてしまったから?休日は団地の共用部分の草取りに追われているから?

 それらもあるけど、ブログを書くことに対する心理的なハードルが上がりすぎていたからだと思います。

4月1日からこの登場したカテゴリ「文章」。なぜこのカテゴリが登場したのかは、えーと、私なんかがこうして書くのもおこがましいんですが、でも書いちゃいますが、この文章を読んだことがきっかけです。

d.hatena.ne.jp

私はこの文章を読んだとき、「彼」から自分の元夫をイメージしました。早めに結婚して、(20代じゃないけど)離婚して、平気で嘘をつき、他人を人扱いしないというか、自分より格下とみた者に対しては徹底的に見下して操ろうとする。私とか、私の両親とか、この文章を読んだころ家を売ったんだけど不動産業者とか買主の人とか。その見下す態度が一貫していて、まるで「見下していい者」への振る舞い方が彼の中にプラグラムされているようだった。自分より格上の者に対してどう振る舞っているのかは知らない。

でも今改めて読んでみたら、「彼」ほど洗練されているわけでもなかった。相変わらず上に立とうとしてくるけどね。

ともかく、この文章を読んだとき「そうか、不快な出来事があったとき、それをそのまま書くのではなくて、こんな風に場面を切り取って鮮やかに見せるという方法があるのか!」と衝撃を受け、(別に不快な出来事に限らないけど)切り取って書いてみると「○○ということがあって、××という人がこう言って、私はこう思ったんですよ。それで…」などと書くより相当楽だったのです。しかもその文章の中で、私は息子にも、近所の少女にもなれるということに気づき、そのなりきりがとても楽しかったので、すっかり「文章」を書くことにはまってしまいました。もちろん「息子になった私」が考えたことであって本人が何を考えたかはわからないし、自分を主体として書くことによって客観性が薄れることが怖い気はするのですが、やっぱり楽しいですねー!そうして書いているうちに、いつの間にかブログが「気合のこもった発表の場」になってしまっていたみたいです。「気合がこもっていない文章でないと発表してはいけない」みたいな。

いつの間にか、というのが怖いところで、8月20日を前に記事を全て読み返してみるまでは、本当に自然にそんな考え方にとりつかれていました。それまでは、気合がこもっていない文章も書いていたのにね。というわけで、これからは初心に帰って、気合がこもっていない普通のこともどんどん書いていきたいと思います。

あ、「文章」カテゴリの文章にはフィクションが含まれています。例えば、会社を辞めたことはフィクションです。今読むと、やっぱりしっくりきていませんね。

 

ていうか記事を全て読み返して思ったんだけど、自分が過去に書いたことって面白いねー!すっかり忘れていたようなこともあるので新鮮だったり、今の私とは考え方が違っていたり。これからも積み上げていきます。