三年生が終わった

息子の話です。

いやもう四年生が始まってるんですけどね。四年生がどう転がるかわからないけど、書いておかないと「三年生が終わった時点の気持ち」を忘れてしまいそうなので。

 

昨年、三年生の五月に担任の先生から「授業中落ち着きがない」「ノートの字が汚い」と言われ、そこからいきなり「薬でよくなりますよ」と言われ。その後学級崩壊して、教室自体がまったく落ち着かない場所になるんですけど。

まー走り回りましたけど。ちょっと今系統立ててまとめる気力がないのと、どこまで事実通り書いていいものか決めかねているので、自分の気持ちだけ書きますけど。

 

まず思うのは「担任の先生の態度、あれは一種の暴力なんじゃないか?」ということ。

別に私だって自分が常に正しいなんて思っていないけど、例えば、

「何が理由なんですかね?」と、納得できる理由が出てくるまで質問攻めにする。

休日に連絡なしに家に来る。

ってどうなんでしょう。例えばね(実際はそれ以上のことがあったよ!)。

あと保護者会で「この子たちは将来社会に出たらやっていけない」と言うとか。「100%間違ったことではないのかもしれない(だいたい将来のことなんて誰も予想できないし)が、教師という立場でその発言がなされたときに、親という立場で受けるダメージがものすごい」んですよ。それが積み重なると、自分で判断する力が失われていくんですよ。学童の保護者仲間に「実は、先生に薬を勧められていて」と相談したとき彼女たちは即座に「それは先生が決めることじゃないよね」と言ってくれてとても救われたんだけど、そういう当たり前のことさえ人に言われないと自信が持てなくなるくらい追い詰められていくんですよ。

離れた今は「自分はそんなに間違ってもいなかったな」と思えるけど。そういう、ある意味暴力ともいえることを行なっていいのか?というのは今でも思っています。だから、こうしてブログに書いています。

 

あと、今思っているのは…「通級の先生と面談してきたが、どうして通級に対してネガティブなことばかり言うんだろう」ということですかね。いきなり「通級に通っていることをどのくらい隠しますか?」と、Max隠す場合の例などを話されて落ち込んでいます。実際ネガティブに考える人もいるのかもしれないけど、私がそのように考えていないことは冒頭から話しているのにあえて説明して無駄に落ち込ませるって、意味があるんだろうか。説明責任?

困ったときにその都度考えましょうよ(…と言ってるのに「一応」と、一通り聞かされる)。

 

息子の状況については「人より少し遅れてるというだけじゃないのかな」と思っていますが、その遅れは「その学年でできるべきこと」から外れたものではないと思っています。ただ「字を書くこと」については困難があるのかもしれないとは思っていますが、何ともいえない状態です。今は。

 

あと、前にも書いたけど「いろんな人に、必要に応じた詳しさで説明するのが本当に疲れる」ってことです。

流行りのサンシャイン - 見て見て!書いたよ!

新年度になったのでまたいろんな人に説明しなきゃいけないんだこれが。今のところ、通級の先生と、新しい担任の先生と、新しい上司ですけど。あと引き続き元夫と私の母(私だけじゃ対処しきれないので)、職場の同じチームのメンバー(通級で抜けるので引き継ぎなど)。もー誰にどこまで話したのか忘れちゃっていきなり詳しく話しちゃって「は?」とかなっちゃってますけど。あと先生などの教育関係者以外からは、たいていアドバイスがついてきます。それどうしても私に言いたいっていうのなら一応お聞きしますけど、私がその通りにすることまでは期待しないでくださいね。本人に言え!(…と直接言ってますが)

 

そんな感じの現在ですが。教育センターの先生から年度最後に言われた「毎日笑って生活できる。それで十分だと思うんですけどねえ」ということが、本当に支えになっています。大丈夫だ!それなら自信がある。

それが学習がからむと「でも…」と落ち込みがちになってしまうけど、それは仕方ないだろう。

今年度も走り回っていこうと思います。