『村上さんのところ』を読んで思い出す『アンダーグラウンド』とか『国境の南、太陽の西』

この夏はずっと『村上さんのところ コンプリート版』を読んでいました。

村上さんのところ コンプリート版

村上さんのところ コンプリート版

 

 

寄せられたメールが3万7465通、コンプリート版に返事が載っているのが3716通。通常書籍版は473通。

すごいボリュームです。一応一通り読みましたが、全ての内容を覚えておくのは無理です。電子書籍だから付箋も目立たないし、どんどん忘れていく。でも、また読んだときに新鮮な気持ちで読めそうだからある意味お得だ。

 

www.shinchosha.co.jp

新潮社のサイト。書籍版、コンプリート版のイメージが見られます。

 

書店に書籍版が置いてあったので書籍版の中身も見たのですが、個人的にはコンプリート版が絶対におすすめです。

コンプリート版の良いところは「テーマ別」と「掲載日順」どちらでも読めるところ。書籍版は「掲載日順」のみ。私にはこの雑多すぎる質問群(テーマでいうと23種類)をただ掲載日順に読んでいくのはキツいです。質問文には手が加えられていない(と思う)から、個人の多様さというかエネルギーの量がすごくて、質問者の側に意識が引っ張られてしまう。私は新聞の人生相談も好きで愛読しているのですが、人生相談は相談文が編集されているので引っ張られることはない。むしろ回答者の方が個性的で引っ張られることが多くて、それが楽しいんだけど。
この雑多さ、そして村上春樹の小説に登場しそうにない人たちが登場する感じから私は『アンダーグラウンド』を思い浮かべたんだけど、『アンダーグラウンド』は語られる内容が編集されているから落ち着いて読める。

内容を取捨選択し、前後を入れ替え、重複した部分を削り、文節をくっつけたり離したりして、ある程度読みやすい文章として整理し、しかるべき長さの原稿にまとめた。

(『アンダーグラウンド』「はじめに」より)

 っていうか『アンダーグラウンド』を久々に読み返してみたんだけど、すごくいい!村上春樹の事件への向き合い方が「はじめに」と最終章である「目じるしのない悪夢」にしっかりとまとめられていて、それがとてもまともで、今回の『村上さんのところ』で村上春樹が語る地下鉄サリン事件(あるいは「悪」)に対しての考え方と変わっていないことに驚いた。

私が『アンダーグラウンド』を買って読んだ頃は大学生で、通勤時間帯の地下鉄について具体的にイメージできなかったんだけど、社会人になって、地下鉄も使って都内に通勤していた経験を経て読み返すとその悲惨さがよくわかる。語られる被害の状況の酷さにも改めて驚いた。酷すぎて、記憶に蓋をしていたのかもしれないけど。

 

ともかく、掲載日順に読むことによってリアルタイムな盛り上がりを感じられることと、引っ張られずに読めることどちらを取るかと言われると、私は後者を取ります。また、自分の読みたいテーマから読んでいくことによって、「今、自分は何が一番気になっているのか?」を再発見できたことも良かったです。ちなみに私は「男と女はむずかしい(結婚・離婚・夫婦・不倫)」「家族のモンダイ(親子)」「ドライブ・マイ・カー(クルマの話)」を先に読んだ後、最初のテーマから順番に読んでいきました。読んでいる途中で「これはちょっと読み続けられないな」と思って飛ばしたテーマは「好きな人がいます(恋愛)」だけです。

やっぱり、夫の不倫が原因で離婚して、子供がいて、10年間ペーパードライバーだったのに今は自動車通勤をしていますからね。そして恋愛についてのお悩み相談なんてとても読む気になりませんからね。面白いねー。

 

それから「テーマ別」に読んで、村上春樹の、まるでバッティングマシーンのようにぶれない回答のすごさを再認識しました。例えば「不倫について」は何度か質問が来るのですが、村上春樹は毎回同じように答えています。このような一貫ぶりをまとめて見ることができたので「テーマ別」は良いと思ったし、その正確さによって村上春樹は回答者として信頼されているのだなと思いました。
村上春樹の不倫をテーマとした小説といえば『国境の南、太陽の西』ですが、当然私は全く好きになれないです。
割と最近読み返しているんですけどね。自分が不倫騒動の渦中にいるときにあえて読み返してみるという、傷口に塩を塗るようなことをしていたのです。
自分が不倫をされた側であるということを差し引いても、この作品における「不倫」というテーマはおさまりが悪く思えました。村上春樹が物語の装置あるいは主人公への試練として与えるような、そんな大層なものにはなりえないというか、装置としてみるなら「性描写」(これも私は苦手だけれども)のようにはうまくいっていないというか。そしてあの結末は、村上春樹が女性ファンに恨まれないためにああなったんじゃないの?と下世話なことを考えてしまいます。
でも『村上さんのところ』を読むとこの作品が好きだという人が複数いて驚いています。人それぞれですね。

 

それから『村上さんのところ』では質問に対して答えていない回答が多いことに驚きました。質問文には「まず本題の質問があって」「その後に村上春樹本人に対する余談や、別な質問が紛れ込んでくる」ものが結構あるのですが、その場合村上春樹は余談の方は結構ばっさりと切り捨てているんですよね(たまに逆のパターンで、余談の方にしか答えていない場合もあります)。切り捨てている方の質問は個人的な内容が多かったので、そのバランス感覚はさすがだと思いました。そうか、答えたくない質問には答えなくていいのか。


そうそう、書籍版の良いところは、挿絵が多いところ。上の新潮社のサイトの書籍版のイメージにも一コママンガがあります。コンプリート版でも読みたかったなー。

 

これからも何度も読み返す本になると思います。

将来は、シングルマザーである質問者(「離婚した元夫が許せない」あるいは「黒猫がいればいいですね」など)に村上春樹が回答した通り、猫を飼ってみたいなと本気で思い始めています。別に気の良い黒猫でなくても良いから。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の図書館の女の子に憧れて司書の資格を取った村上主義者としては、それもありではないかと思えるのです。

 

アンダーグラウンド (講談社文庫)

アンダーグラウンド (講談社文庫)

 
国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

 

特別な「悲しい思い出」がたくさんあったっていいよね(『インサイド・ヘッド』感想)

※ネタバレしています。 

『インサイド・ヘッド』の日本語吹き替え版を見てきました。

元々映画館に見に行くつもりはなかったのですが、愛聴しているタマフル(TBS RADIO ライムスター宇多丸のウイークエンドシャッフル)の8/15の映画批評が『インサイド・ヘッド』だった*1ので興味を持ったのと、子供たちが元夫と泊りがけで旅行に出かけて時間ができた*2ので映画館に見に行ってきました。

あらすじや前評判をほとんど知らずに見に行きましたが、本当に面白かったです。そして、ものすごく泣けました。

 

※最初にも書きましたが、ネタバレありでいきます。見に行った人は「そうだったよね」と思いながら読んでください。見に行っていないのに内容が気になる人は、気になっているなら絶対に見に行った方がいい!読む前に見に行ってください。

 

www.disney.co.jp

 

さて。

感想

 私はライリーと同じく転校生だったので、ライリーにものすごく感情移入できました。でも転校初日の気持ちは、ライリーのように喜び中心ではなくて、ビビリ8割ムカムカ2割くらいでした。個人の性格の問題でしょうね。

私は父親の仕事の都合で4歳から8歳までのほぼ毎年、引越しを経験しました。4歳(幼稚園年少)までは母親の実家で祖父母と同居していましたが、年中になるときに同じ県内ですが100km位離れた市に引っ越しをしました。それから年長になるときに同じ市内で引っ越しをしました。幼稚園は変わらなかったですが園バスの便が変わって、近所の友達も変わりました。それから小学校に上がるときに隣の県に引っ越しをしました。小1から小2に上がるときだけは引越しがなくて、小2から小3に上がるときに元の県に戻ってきました。4歳まで住んでいた市とも、小学校に上がるまで住んでいた市とも違う市です。それ以降は、父親が単身赴任をしました。

この「小学校に上がるとき」と「小3に上がるとき」の県をまたいだ移動が辛かったなあと思い出されます。隣の県と言っても、新潟県富山県(小1、小2の2年間だけが富山)なので言葉が全然違うんですよね。「小学校に上がるとき」は言葉が違って、知っている子も全くいない状態だったのが辛かったし、「小3に上がるとき」は引越し先のクラスメイトとピアニカや「みんなのうた(音楽の副読本)」の規格が違うのが悲しかったです。私のピアニカはなぜか短くて、高音を弾くときはエア演奏をしなければならなかったり、「みんなのうた」は小3時点での版とクラスメイトが持っている版が違っていたので、先生が言ったページに歌が載っていなかったりとか、ありましたねー。そんな風に、忘れていたいろいろな「転校して悲しかったこと」が思い出されました。

「このように、物心がつくころに引越が多くても何とかやってきて、無事大人になったけれど、やはり悲しいことも多かったな」ということが一番の気持ちです。そして「よくやったよね」と思います。「ライリー、楽しくやれているようで、よかったね」とも。

 

悲しみは大事なんですけどね。映画でカナシミがビンボンを慰めたように、「悲しみを知っていると人に優しくなれる」のは本当だと思います。でも「経験しなくていい悲しみなら、経験しない方がいい」とも思います。引越しが多かったことについて、私は両親を少し恨んでいます。でも「悲しいことが多かった私」こそが私であるわけなので、別に両親に今何かを言いたいわけでもありません。「よくやったよね」と思うだけです。

これは、私が離婚して子供たちに多少なりとも悲しい思いをさせたことにも通じるのですが、どうにもならなかったのです。もちろん、経験しないことが一番だし、そういった悲しみを経験しない人も多いです。今後、子供たちの悲しみが何らかの形で表に出てきたとしたら、私はその悲しみに向き合うつもりです。といっても、話を聞くくらいしかできませんが。

 

ともかく、この映画を見て私は「この私」こそが自分なのだと思ったし、そんな自分が好きになりました。タマフル宇多丸さんが言っていたように「頑張ろうと思った」とまではいかないけどね。でも、自分を好きになる、何とこれはピクサーの狙い通り*3だ。狙い通りに楽しめました。

 

その他、いろいろと思ったことなど。

 一番好きなのはやっぱり「カナシミ」

悲しい記憶が思い出されたからというわけではないですが、キャラクターの中ではカナシミが一番好きです。見た目がかわいい。あの幼児体型と柔らかそうな顔の肉がいい…!

 上記公式ページの「あなたグラフ診断」(スマホからのアクセスのみ)でも私は当然「カナシミ/ヨロコビ」型でした。やっぱりね。

 

泣いた場面

ものすごく泣けた、と書きましたがこの映画を見ている間私は泣いてばかりでした。

まず、私は子供を持つ親であるので、最初の「赤ちゃんのライリーを見て喜ぶ両親」を見た時点で子供たちが赤ちゃんだったころを思い出して泣けました。それからライリーってすごくいい子なので、そのいい子ぶりに泣けました。「パパが大変だから笑っていてあげようね」とか。

他にも泣けるシーンが多数。一番泣けたのはもちろん、ビンボンがいなくなってしまうシーンです。あの場面で私は声をあげて泣きたかった。でも両隣に人がいたので我慢しました。このシーンで声を上げて泣くためだけにDVDが欲しいです。

そのシーン以外にも、上に書いた通り自分の悲しかった記憶が思い出されたりもしたため、映画が終わった後はなんとか平静を装って(車で見に行ったので)車まで行き、車の中で声を上げて大泣きしました。その後、家に帰った後もカナシミのようにうつぶせになって泣きました。涙もろい人間にとって、それほど泣ける映画です。

 

楽しかった場面

もちろん、楽しい場面もたくさんあります。というかこの映画で悲しい場面と楽しい場面が交互に出てくるのは意図的だと思います。泣かせすぎないようにバランスを取っているというか。

私が好きなのはイマジナリーランド全般と、キャラクターが二次元になるところ(ピクサーすごい!)。

ライリーの潜在意識の恐怖心の世界は、ホラー的映像として好き。

 

みんなのインサイドヘッド

パパの司令部、ママの司令部が出てくるのが面白い。しかもリーダーとなる感情は人によって違うのが面白い。

パパとママの司令部が出てくるのが途中1回と最後1回、そのあとエンディングにいろいろな人の司令部という回数のバランスも良かった。これ以上出していたら、面白くなくなっていたと思う。

 

ファンブックで気になった小ネタ
ディズニー/ピクサー インサイド・ヘッド SPECIAL BOOK (バラエティ)
 

映画が面白すぎたのでオフィシャルファンブックを買ってしまいました。付録のポーチいらない…。でも、良いファンブックです。ライリーのマインドマップの絵が美しい。それから、表紙裏に映画の名場面がいくつか載っているのですが、その場面の選び方が一ひねりあって面白い。例えば、「パパとママがフェイスペイントで応援している場面」とか「レインボーユニコーンさんのステージ」とか。「そうそう、こんな場面があった!」と楽しい気持ちになれます。

それから「ヨロコビは光を発しているので、ヨロコビには影ができない」って書いてあったけど、そうだったか覚えていない。もう一度映画を見返したい!

影の件はこのニュースにも書いてありました。

www.rbbtoday.com

 

 納得がいかなかった点

脳科学的にはそうなのかもしれないけど、納得がいかなかったこともあります。

  • カナシミが思い出ボールに触ると、思い出が悲しくなること
  • 思い出のごみ捨て場の中でも、悲しい思い出だけは輝きを失っていないこと。そういうものなの?自分も悲しかった思い出ばかりが蘇らせておいて何だけど、でも「人生って悲しみばかりがいつまでも残っていくものじゃない」と信じたいんだけど。
  • 映画に対してじゃなくて、上記のファンブックで共同監督のロニー・デル・カルメンが「子供のころは誰でも、空想の友達を作り出します」と言ってるけど、私には空想の友達はいなかった。本をよく読んでいたから、本が友達だったのかもしれないけど。物語としてビンボンの存在は絶対に必要だし、子供は空想が好きなのはわかるけど「誰でも」と言われると違和感がある。

 

感想は以上です。

あ、映画最初のドリカムの主題歌は本当にどうかと思いました。「Let it Go」のように歌わせたいにしても、字幕が漢字交じりで、これでは子供たちが一緒に歌えない。というか吹き替え版なのに最初の監督あいさつは字幕で、これはドリカム世代である親に向けての映像であるということなんですかね。映像も良くなくて、写真の切り替わるタイミングが早いので目が疲れるし、写真の並べ方も余白なくぴっちり並べているのでまるで安いフォトブックのよう。上記公式ファンブックの表紙裏の名場面の並べ方の方がよっぽどセンスがあるわ。

映画「インサイド・ヘッド」でのドリカムに困惑する人々のまとめ(抜粋) - Togetterまとめ

見たよ!“あの演出考えた人のインサイドヘッドはどうなってるのか見てみたい”確かに。

2015/08/19 15:06

 南の島の短編は、タマフル宇多丸さんが言っていた通りだと私も思いました。「頭がおかしいと思います。でも好きです。」

 

 私の気になるグッズ。

 私がゆるく集めているトミカのディズニーモーターズにインサイドヘッドが!しかもカナシミ単独の車も!

文具・雑貨などはキャラクターが人型であるせいか絵があまりかわいいと思えず、このクリップくらいしか気になるものがない。

*1:リンク先からPodcastで聞けます

*2:しまった!「文章」カテゴリはフィクションなんだった!

*3:上記公式ページの作品情報に「もっと自分が好きになる――これはあなたの物語。」とある

眠れない夜

夜中に暑くて目が覚めると、エアコンのタイマーが切れていたのでエアコンをつけてまた寝る。しばらくして寒くて目が覚めて、タオルケットにくるまる。それでも寒くてまた目が覚めて、エアコンを消す。夢を少し見ては目が覚める。

眠りが浅いのだ。なぜ眠れないのかはわかっている。明日は元夫と子供達が泊まりがけで旅行に行くので、元夫が朝5時に子供達を迎えに来るのだ。子供達はまず起きないので寝たまま引き渡すのだが、5時に迎えに来るのなら私は4時半に起きて子供達に持たせる荷物の最終確認をしなくてはならない。それに、対峙するのに注意を要する相手に対して、寝起きの状態で会いたくない。そんな緊張感から眠りが浅くなっている。明日が休日ならば寝ないで起きていてもいいのだが、そうではないので無理矢理眠ろうとして、浅い眠りを繰り返す。
 
4時半に目覚まし時計のアラームが鳴って飛び起きる。顔を洗い、窓を開ける。息子が入れておいてと言っていて寝る前まで遊んでいたゲーム機と充電器を息子のリュックに、娘が入れておいてと言っていて昨夜洗濯した服を娘のリュックに入れる。水筒に麦茶を入れる。荷物を玄関前の廊下にまとめる。
ここまで終わったがまだ時間が余っているので、家事に取りかかる。洗濯機を回す。食洗機の中の食器を片付ける。昨夜使ったコップを洗う。ダイニングの椅子の上に置きっぱなしになっていたホットプレートをしまう。
 
4時59分に元夫から着きました、とメッセージがあったので子供達と荷物を引き渡す。
会話が最小限で済むように私は細心の注意を払って話す。
「荷物はこれで全部」
「明日の、だいたいの帰りの時間は?」
(夜だけど大丈夫だろ)「大丈夫」
 
元夫が車のドアを閉めると私は部屋に戻り、玄関のドアを閉める。元夫の車の音が遠ざかることを確認して、鍵をかける。
安心した私は眠くなって、洗濯機の中で回っている洗濯物なんかどうでもよくなって、早朝の柔らかい光と虫の声の中で7時までぐっすり眠った。
また目覚まし時計のアラームで目が覚めて、今度の眠りが一瞬だったことに驚きながら起き上がる。
よく寝た。一日はこれから始まる。

書きたい、という気持ちが確かにある

もうすぐ8月20日がきてしまう。

8月20日とは?1年前にこのブログを始めた日です。

 

読者の皆様、お久しぶりです。久しぶりに皆様の方を向きます。

突然ですがここでこのブログの1年間の月別の記事数をご覧ください。

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少なっ!

なぜこんなに少ないのか?ワーキングプアなシングルマザーで毎日忙しいから?それなのに学童の保護者会の役員を引き受けてしまったから?休日は団地の共用部分の草取りに追われているから?

 それらもあるけど、ブログを書くことに対する心理的なハードルが上がりすぎていたからだと思います。

4月1日からこの登場したカテゴリ「文章」。なぜこのカテゴリが登場したのかは、えーと、私なんかがこうして書くのもおこがましいんですが、でも書いちゃいますが、この文章を読んだことがきっかけです。

d.hatena.ne.jp

私はこの文章を読んだとき、「彼」から自分の元夫をイメージしました。早めに結婚して、(20代じゃないけど)離婚して、平気で嘘をつき、他人を人扱いしないというか、自分より格下とみた者に対しては徹底的に見下して操ろうとする。私とか、私の両親とか、この文章を読んだころ家を売ったんだけど不動産業者とか買主の人とか。その見下す態度が一貫していて、まるで「見下していい者」への振る舞い方が彼の中にプラグラムされているようだった。自分より格上の者に対してどう振る舞っているのかは知らない。

でも今改めて読んでみたら、「彼」ほど洗練されているわけでもなかった。相変わらず上に立とうとしてくるけどね。

ともかく、この文章を読んだとき「そうか、不快な出来事があったとき、それをそのまま書くのではなくて、こんな風に場面を切り取って鮮やかに見せるという方法があるのか!」と衝撃を受け、(別に不快な出来事に限らないけど)切り取って書いてみると「○○ということがあって、××という人がこう言って、私はこう思ったんですよ。それで…」などと書くより相当楽だったのです。しかもその文章の中で、私は息子にも、近所の少女にもなれるということに気づき、そのなりきりがとても楽しかったので、すっかり「文章」を書くことにはまってしまいました。もちろん「息子になった私」が考えたことであって本人が何を考えたかはわからないし、自分を主体として書くことによって客観性が薄れることが怖い気はするのですが、やっぱり楽しいですねー!そうして書いているうちに、いつの間にかブログが「気合のこもった発表の場」になってしまっていたみたいです。「気合がこもっていない文章でないと発表してはいけない」みたいな。

いつの間にか、というのが怖いところで、8月20日を前に記事を全て読み返してみるまでは、本当に自然にそんな考え方にとりつかれていました。それまでは、気合がこもっていない文章も書いていたのにね。というわけで、これからは初心に帰って、気合がこもっていない普通のこともどんどん書いていきたいと思います。

あ、「文章」カテゴリの文章にはフィクションが含まれています。例えば、会社を辞めたことはフィクションです。今読むと、やっぱりしっくりきていませんね。

 

ていうか記事を全て読み返して思ったんだけど、自分が過去に書いたことって面白いねー!すっかり忘れていたようなこともあるので新鮮だったり、今の私とは考え方が違っていたり。これからも積み上げていきます。

トランクルームを閉める音

がらがらがらがらがら、がしゃん。

2年前に家を売って引っ越したとき、もちろん多くの物を捨てたけれど、引越し先のマンションは狭くて、持っていきたい全ての物が入らなかったのでトランクルームを借りていた。
入れていたのは、エアコンと室外機、ダイニングテーブルと椅子、暖房器具、背の低い本棚、雛人形五月人形、スキーなど。あとは衣類と、重箱やコーヒーメーカーなどすぐに使わなそうな物をいろいろとしまっていた。
それが、最初に引っ越した狭いマンションから少し広い団地に引っ越して部屋数が増えたので、エアコンを出して取り付け、本棚を出して本を並べ、ダイニングテーブルの椅子2脚をダイニングの隅に並べて、ちょっとした物置きかベンチにした。それから雛祭りがあったので雛人形を出して、雛祭りが終わったら押入れにしまい、端午の節句があったので五月人形を出して、終わったらこれも押入れにしまった。すると、トランクルームの半分以上が空いたので、残っている暖房器具やスキーや衣類を部屋に運び込み、不要な物を捨てたらダイニングテーブルと椅子2脚だけになった。
このダイニングテーブルと椅子をどうするか。今、私達家族は主に和室で生活している。ダイニングにテーブルを置く場所がないわけではないけれど、迷いはなかった。今の家族は3人だから、椅子1脚だけを持ち出して、テーブルと残りの椅子1脚は処分する。このダイニングテーブルをトランクルームに入れたときに乗っていた車は家族4人で乗っていた車なので大きくて、テーブルもそのまま運べたが、その車は手放してしまった。今乗っている軽自動車にはテーブルはそのままでは入らない。脚2つを外して椅子1脚と一緒にパズルのように軽自動車の後部座席に乗せて、市の清掃センターに持って行った。清掃センターではお兄さんが、軽々とテーブルを取り出してくれた。
テーブルを手放したけれど、特に感慨はなかった。どうしてもっと早く手放さなかったのだろうとも思うが、この早さでしか進めなかった。手放したことに後悔はない。もし将来テーブルが必要になったら、その時の部屋の大きさや、私達家族の生活にふさわしいテーブルを手に入れればいい。

シャッターを閉めたら、中はきっと真っ暗。

『ダス・ゲマイネ』以外

新調文庫の『走れメロス』には『ダス・ゲマイネ』以外にも9編お話が入っているんだ。しかもどれもすごく面白いよ!というわけで「以外」の感想だよ!9編まとめて800字には収まらないけど1編につき800字も語れそうもないので好きに書く、って感じでいいよね。え?何で『ダス・ゲマイネ』の時と比べて語り口が軽いのかって?それは『ダス・ゲマイネ』の時に真面目に書き過ぎた反動だよ。まるで盆栽のようにきっちり整えまくったからね。あ、ネタバレしているからよろしくね。

掲載順にいくよ。まず『満願』。実はこの本を読み始めたとき『ダス・ゲマイネ』は少し長いので、次に載っている短い『満願』から読み始めたんだけど、好きになれなかった。そして『ダス・ゲマイネ』に戻って読み始めたらすっかりはまったわけなんだけどさ。『満願』は朝の、白いパラソルの、爽やかな場面を描いているのに読んでいる側は全くすっきりしない話だ。それは太宰が「善玉悪玉論」「奥さんのさしがね」などのキーワードを提示しておきながら、それらをわざと放り出しているからだ。しかも、放り出して失敗していると思うんだ。失敗というか書かないことによって見せるのが上手くないというか。肝心の「何を『固く禁じた』のか?」「なぜ、喜んでいるのか?」もだ。まあ「夫婦生活」のことなんだろうなと思いながらもそのコミカルな喜び方の描写に疑問を感じてしまう。ちっとも爽やかでない。「さっさっ」「くるくるっと」なんて爽やかそうに言われるほどに重く重く感じてしまう話だ。
富嶽百景』は、後で出てくる『東京八景』『帰去来』『故郷』と同じ、太宰治を主人公とした私小説。太宰のいつもの感じの私小説、といって伝わるかわからないけれど、いい感じに力が抜けていて気楽に読める。そして「津軽出身の津島修治」ではなく「作家太宰治」が主人公なので、過剰なくらいに読み手へのサービス精神に溢れている。やり過ぎな気もするが面白い。「やっていやがる」!私も、げらげら笑った。本当に。
『女生徒』。私はこの女生徒に全く共感できない。こんな風に何かをずっと考え続けながら一日を送っている人なんて本当にいるのか?私は目で何かを見ていても頭では何も考えていないことも多いので、女生徒の思考の広がりについていけない。考えている内容も人を見下しているようで好きになれない。「起こったこと」と「考えたこと」とをつなげて、全て女生徒の独白として書いているのがすごいと思うけど、好きになれないのでまるで苦行のように読んだ。言葉が古い、というのもあるかな。といいながらこの文章も『女生徒』のようになっている気がする。違うよ!『駆込み訴え』を目指しているんだ。
『駆込み訴え』。この話はこの本の中で『ダス・ゲマイネ』の次に好き。あれだけの長さ(文庫にして18ページ)の物語を語り口調で一息に読ませるってすごすぎるよ!!私なんてここまで1200字にして息切れしてます。「あの人」に対する愛と憎しみの両立ぶりが見事で、読んでいるこちらまで苦しくなってくる。全編悪口なんどけどペテロやヨハネに対する貶し方と「あの人」に対する貶し方は決定的に違っていて、「あの人」への方には愛があるのだ。終盤の混乱ぶり、「あの人」が「あいつ」に変わり、小鳥の声が気になりだし、金を受け取る受け取らないと揺れた後、ついに金を受け取ってネタばらし。このスピード感がすごい。そしてこの揺さぶりを太宰は計算して行っている。なぜなら終盤の残り3ページ目に入るまでは、悪口だらけなのに「あいつ」という呼び方は一回も出てこない。それが一度登場した途端、一気にギアチェンジして、スピード感の中で終幕となる。見事すぎ。
走れメロス』も文章が本当に上手い。「メロスはなぜ激怒しているのか」を1ページで説明してしまう書き出しには無駄が一切ない。でもお話としては、教科書で読んだ中学時代と変わらず、好きではない。だって濁流がなければメロスは間に合っていたんだもの。それを人間の弱さとは、みたいに言われても納得できない。だけど「メロスを間に合わせた」のは、太宰の人間性というか物語に向き合う姿勢を表していると思う。「間に合わない」可能性は暴漢の登場する場面でちらっと伺えるが、そちらには傾かせないぞという強力な意思を感じる。その姿勢は好きだ。
『東京八景』。これも「作家太宰治」を主人公とした私小説。ここまで読んできてすっかり太宰好きになった者としては、書き出しの一文を読んだだけでわくわくしてきてしまう。ただし、内容は重い。上京してから現在に至るまで、自殺未遂や薬物中毒の時期のことも書かれているからだ。普段のユーモアの方向にはなかなか傾かない。女との会話や自分自身の気持ちを語る、吐き捨てるような短い文章に、吐き出す辛さを感じる。もちろん、全てを吐き出しているわけではないと思うが。例えば、昭和10年の秋について、この頃は薬物中毒だった、それはわかる。そして何も書けなかった、と書いているんだけど、いやいやその時期に『ダス・ゲマイネ』を書いてますよね?巻末の解説によると『ダス・ゲマイネ』はその年の8月に決定された芥川賞次席者に依頼され、10月に発表されたものなので「紙袋の中の作品群」とは違いますよね?このあたり、巻末の年表を何回も見返しちゃったよ。多分、事実をもとに書いてはいるが、書きたくない部分もあるし、あえて正確に書いてない部分もあるんだろう。ていうか『ダス・ゲマイネ』について触れられていないのが寂しいだけなんだけどね。昭和9年に同人誌を作り一冊だけで仲間は解散したが、仲間のうち2人と意気投合して3馬鹿と呼ばれた、なんて絶対『ダス・ゲマイネ』の下敷きになってると思うんだけど。あと、終盤の妹とのやりとりは、『メロス』入ってるなと思った。終盤はユーモアが復活している。
『帰去来』『故郷』は一つにまとめてしまうが、太宰治を主人公とした私小説。ただし「津軽の津島修治」の方だから、太宰治本人も誠実に書こうとしているし、ユーモアは控えめだ。でもどうしても、悪い癖のようにユーモアに傾くこともあるけどね。『帰去来』で10年ぶりに帰郷して、翌年の秋に母の容態が悪いとのことで『故郷』で再度帰郷、そして生家と和解となるんだけど、『故郷』の最後、母親が亡くなる場面などは書かれないんだよね。直前までで。きっと亡くなったんだろうなと思いながら巻末の年表を見ると「12月、母死去」とあり、やはり、と思っていると翌年の1月にもう『故郷』が発表されていて驚く。こんなに早いタイミングで発表したのはなぜなのか、私にはわからないが、常に自分を見つめて作品にして発表するという、作家の業のようなものを感じた。


おまけ。

gigazine.net

 この記事を読み、サンプルとして表示されている『走れメロス』をテキストマイニング解析した結果のワードクラウドがあまりにも美しく、そして物語を読んだ印象を的確に表していたので感心しました。
そう、『走れメロス』はとにかく「メロス」で始まる文が多くて、暴君とセリヌンティウスの扱いは同じくらいだよなと(「濁流」もしっかりあるのが笑える)。
 
そして『走れメロス』と同様『ダス・ゲマイネ』も青空文庫にあるのでテキストマイニングしてみました。読んだ印象から、きっと『メロス』ほど美しい結果にはならないだろうなと思いながら。
結果はこれ。

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「馬場」中心すぎ…!

我が家の近所限定!小学校低学年に人気のファミコンソフトベスト5!【追記】

こちらの記事を読みました。

 【ファミコンの日】ゲーム音痴の私がよく遊んだおすすめファミコンソフト16作(クソゲーから超名作まで) - 轟け!サブカル女子

ファミコンの日」って知らなかった!何か書こうかな…。

2015/07/16 00:18

 

7月15日って1983年のこの日にファミコンが発売されたので「ファミコンの日」なんですね。といっても任天堂が言い出したわけではなく、Twitter発でファミコンの思い出を語るお祭り的な日なんですね。

 

以前の記事にも書きましたが、我が家ではファミコンが現役です。

個人的に「ゲーム=ファミコン」なんですよね。私は1979年生まれですが、ファミコンを買ってもらったのは1985年でした。その後、目が悪くなってゲームを禁止されたブランク期間を2年ほど挟みながら、1995年に初代プレイステーションを買ってもらうまでひたすらファミコンで遊び続けていました。スーパーファミコンは、グラフィックの感じが何だか好きになれなかったんですよね。

やはり、物心つく前から遊び続けていたから。そして、遊び続けていた期間が長いから(それから、ファミコンの音が好き)。私にとっては「ゲーム=ファミコン」なんですよ!

 

初代プレイステーションセガサターンが発売された頃、私が住んでいた街の古本屋や中古ゲーム屋ではファミコンソフトが安く売られていたので、お小遣いで中古ファミコンソフトを少しずつ集めていました。そして、今我が家にあるファミコンソフトは現在100本ほどです。ファミコンソフト全1249本(ディスクシステム含む)の中のほんの一部ですが。

 

リビングに出している「ファミコンの箱」1段目。色別に収納。

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2段目、黒系。布テープバッグ(新色!)の中には今回紹介する「ベスト5」のソフト。

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このように、我が家のリビングにはファミコンソフトが全て出してあって、いつでもプレイ可能な状態になっています。

それをウチに遊びに来た小学生(息子が小2なので小1~小3くらい)が見つけて「これ何?」というので「昔のゲームだよー」と答えると「やってみたい!」となるのでどうぞどうぞ、とどれでも自由にプレイしてもらうわけですが、やはり現代の親切なゲームに慣れた子供たちにはファミコンの不自由さはキツイものがあるようです。ちょっと遊んでみて「もういい」となることも多いです。

でも、なぜか現代の子供たちの心をつかんでしまうソフトもあるんですよねー!

というわけで、我が家の近所限定・ウチに遊びに来た小学校低学年に人気のファミコンソフトです。

 

第1位 TEENAGE MUTANT NINJA TURTLES2 ザ マンハッタン プロジェクト

不動の一位。子供たちの通称は「亀」。

いわゆるミュータントタートルズのゲーム。横スクロール格闘アクション。二人同時プレイができるのが人気の理由。ゲーム開始前の設定画面でタートルズの人数を最大まで増やし、難易度を下げると子供だけでもかなり先に進めます。

敵の攻撃を受けた時の動きがコミカルで「穴に落ちたー!」「しびれたー!」など大いに盛り上がります。

コナミ製なので音楽がかなりかっこいいです。しかもBGMが「ヘイ!」「カワバンガ!」など喋ります。


Nes: Teenage Mutant Ninja Turtles 2 Soundtrack ...

ゲーム音楽カワバンガ

 

第2位 スーパーマリオブラザーズ

最近(6/25)テレビ番組『アメトーーク!』で『スーパーマリオ芸人』が放送されたため浮上。

「これスーパーマリオ芸人でやってた!」「キンタマリオ(チビファイアマリオ)やってみたい!」の声多数。キンタマリオは皆できるが、チビファイアマリオができた子はいません。私もできない。

ていうか『アメトーーク!』家族で見ている家って結構多いんですね。録画してまでわざわざ見ているのなんてうちくらいだと思っていたよ。(我が家の近所限定?)

私はこんな感じでスーパーマリオ芸人、ちっとも面白くなかった派ですが。

なんでマリオ1ばかり?

 

スーパーマリオブラザーズ30周年公式サイトは素晴らしいです!

 『スーパーマリオメイカー』の紹介もあるよ。

 

第3位 ロックマン2

このゲームは難易度が高いので子供たちもすぐ投げ出すかと思いきや、各自、自分の好きなステージを延々遊んでいたりします。おそらく「難しいけどあと少しでできそう」なバランスが絶妙なんだと思います。音楽もかっこいいし。

通常は、誰かがファミコンを始めるとコントローラーの取り合いになりますが、このゲームに限っては「人のプレイを見る」のも楽しいようです。なので「お母さんやって見せて!」と言われてやらされることが多いゲームです。家事ができない…

 

第4位 スーパーマリオブラザーズ3スーパーマリオUSA

同点でマリオが2つランクイン。子供たちの間でのマリオの認知度はすごい。Wiiを持っている子はいなくても、DSはみんな持っているから、Newマリオやマリオカートを持っている子がいて、カセットの絵を見て「これ知ってる!」となり遊んでみる、ことが多い。

 そしてマリオの「Bダッシュ」「ジャンプ」などのアクションは初代からNewマリオまでずっと引き継がれているから(マリオUSAは違うけど)、「ファミコンマリオ3」「DSでNewマリオ」など違うソフトで遊んでいても、その子個人の「マリオのスキル」はどんどん上がっていくのだ!

 任天堂の努力によって、マリオは確実に引き継がれている。先日家族で次世代ワールドホビーフェアに行ってきたけど、9/10発売予定の『スーパーマリオメイカー』のブースも相当盛り上がっていた。子供がたくさん遊んでいたよ。「新しいマリオ」には確実に力がある。それなのに『スーパーマリオ芸人』…(また言うけど)残念すぎる。

 

 次点 ドラゴンボール 神龍の謎

ここまでで5本紹介したけどおまけで。

最近、子供たちの間での『ドラゴンボール』人気も結構すごいので、カセットの絵を見て「やってみたい!」となるが、難易度が高いのですぐに放り出される。

 

以上です。こうしてまとめてみると、子供たちがファミコンソフトを選ぶときの基準は「カセットの絵」のみなので、全てカセットの絵が「知っている」「とっつきやすい」ものになっていますね。これ以外にも面白いゲームはたくさんあるけど、わざわざ勧めなくても自分たちで適当に発見していくだろうと思ってゆるく見守っています。WiiU3DSバーチャルコンソールファミコンソフトが買えるわけだし、今後任天堂が懐かしのゲームを子供向けに大プッシュしてきた場合「やってみたい!」となるかもしれないしね。

 

「やってみせて!」と言われた時は手間を惜しまずやってみせますけどね!

『ギームマム』の『子どもと懐かしの名作ゲームで遊ぼう』の項にある4つのヒント(実際は「5つのヒント」と書いてあるが4つしか書かれていない…)は「大事!」と思って何度も読み返しています。

1.あせらずゆっくり始めよう

2.お手本をやってみせる

3.ゲームの歴史にふれる

4.辛抱強く

ギークマム ―21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア (Make: Japan Books)

ギークマム ―21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア (Make: Japan Books)

 

ギークマム。面白いんだけどギークの世界は広いので私は『IT・ゲーム編』しかまともに読めていません。

出版元のオライリー・ジャパンのページに目次があります。

O'Reilly Japan - ギークマム

 

 

ファミコンカタログ。ファミコンソフト1249本を詳しく知りたいならこの本がおすすめです。

他にも何冊か持っていたけど断捨離した結果、残ったのがコレです。1タイトルにつき箱外観、ソフト外観、画面画像があって大変見やすい。

ファミ・コンプリート

ファミ・コンプリート

 

…と思ったらAmazonでプレミアついてるー!?

 

ならばファミコンカタログとしてはこれらの方が手に入りやすいかもしれません。私は手放してしまいましたが…

 こちらは画像が小さかった気が…

あれ?こちらはファミコンソフト「1246本」になっていますね。どちらが正しいんだろう。

 

ファミリーコンピュータ 1983-1994

ファミリーコンピュータ 1983-1994

 

 こちらはソフト外観のみだった気が…

 

今週のお題「ゲーム大好き」

 

2015年12月30日追記。

上の記事を書いてからしばらくたった現在でも我が家に遊びに来た子供たちはファミコンで遊びますが、ランキングとしては「ボンバーマン2」「コナミワイワイワールド」が加わってますね。そしてマリオは相変わらず1位ですねー。さすが。