ほぼ日手帳を買った!使い始めた!(そして、自分の頭の中のこと)

ほぼ日手帳2015springを買っていました!

もう4月になってしまう。


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カバーは「MOTHER2 Onett」。
使っていて楽しい気分になれそうだったので。でも、昔のゲームは好きだけど「マザー」シリーズはそんなに好きではないのですが。
それでも私がカバーを変えるというのは事件なのです。私はほぼ日手帳を2012年版から使っているのですが、ずっと2012年の「ミナ ペルホネン『ソナタ』」のカバーを使っていました。毎年発表される新しいカバーに、今一つ欲しいものがなくて。
それが今年初めてカバーを変えるのだから特別なことです。楽しい一年になるといいな。
 
子供が学校・幼稚園に通っているのでspring、うちのリビングのカレンダーが日曜始まりなのでそれに合わせて日曜始まり版を使用しています。本当はspringでなくて1月から新しい手帳を使い始めたいんだけど。
 
今は2014年の手帳からやりたいことリストと読みたい本リストを移しているところです。
読みたい本リストは今のところ30冊。ブルータス本特集の内容を主に。今年中に読みきれるか心配。
やりたいことリストは今のところ二つだけ、「鶴見線に乗ること」と「船の上で食事をとること」。
船の方は、私の家事の手をしばしば止めさせる危険な雑誌「暮しの手帖別冊 ご馳走の手帖 96年版」で「『ヨットの食事』小林則子」を読んだことがきっかけ。
小林則子さんは日本の女性ではじめて、太平洋をたった一人でヨットで横断した方です。(編集後記より)
この記事によると、ヨットの楽しみは生活の楽しみ。「水上の四季の中で食を通じたふれ合いは、茶道の世界に似た、凝縮した出会いの時をもたらしてくれます。」うーん、陸上で食べるのと違って特別感があって楽しそう!
ヨットは無理だけど遊覧船でも水上バスでも何でもいいから、船の上で食べるという経験をしてみたい。
 

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こいつです!

 

 こちらの記事でも登場!

 

 

私はほぼ日手帳を2012年版から使用しています。
初代が発売された時から存在は知っていましたが、自分も使いたいとは思いませんでした。
それが2012年になってなぜ使い始めたかというと、「書かないと忘れる!」と思ったから(ほぼ日手帳にしたのは、何となく)。当時は専業主婦で、息子が3歳(幼稚園年少)、娘が1歳。家に幼児が2人いてとても忙しい状態。娘を育てるのに息子の時どうだったか思い出そうとしても、あまり覚えていないことに危機感を覚えて、育児日記にしようと思って使い始めました。
そのうち本の感想も書くようになり、いろいろ試行錯誤しましたが今は「子供の細かい成長記録」と「職場や、保護者付き合いでモヤモヤしたこと」を書いています。本の感想はブログに書くことにしたしね。モヤモヤしたことについては、ブログに書けないような悪口書いてます。
 
それから最近は「夢日記」として利用しています。
私は夢に意味なんてないと思ってるし、夢判断なども信じていないのですが、自分の見る夢というものが意外と面白くて。
というのは、例えば「友人が結婚する」という話を聞いたとき「ふーん」としか思わなかったのに、しばらくして「その結婚した友人の家に遊びに行く。家はセレブな(あくまで私が勝手に思い浮かべる「セレブ」なのが、あとで考えるとおかしいんだけど。駅のすぐ近くで、エントランスがやたら豪華で、壁や床が大理石というような)マンション」 という夢を見て「私は『羨ましい』と思っていたのかも?」と気づいたり、部屋を片付けていて大学時代に友人(卒業以来会っていない)からもらった手紙が出てきたとき、「ふーん」と思いながら片付け直したのですが、しばらくしてその友人が夢に出てきたり。その友人のことなんて頭の表面から消えていたのに、脳は覚えていたみたい。このように「自分について自分で意識していない部分」を見られるのが面白いので、特に印象的な夢を見た日は手帳に書くようにしています。
とはいってもなかなか手帳を書く時間がないので、寝起きにスマホでメモして終わりになってしまうことも多いのですが。あとから読み返しても何のことかさっぱりわかりません。その日のうちにスマホから手帳に書き写せなければ、夢の内容はほぼ忘れてしまいます。
 
そして最近印象的な夢を見たのですが。
私は仕事帰りに元夫と待ち合わせて帰ります。この夢には子供は登場しません。子供がいない時代の二人のようです(といっても事実、結婚生活のうち子供がいる期間はいない期間よりだいぶ短い)。帰りながら元夫は私にいろいろとひどいことを言います。例えば「お前はほんと何もできないよなー」というような。私は「自分はひどいことを言われている」と自覚しています。
これはすごいことで、今までは「ひどいことを言われているのにどうしたらよいかわからない」あるいは「私が嫌がっているのに家に勝手に立ち入ってくる」というような夢を見ていたのですよ(いずれも現実にあったことですがね…)。
しかし今私は「ひどいことを言われている」ことを自覚しているのです。これは進歩だと思いますが、私が立ち直ったというよりただ時間が過ぎたのだと思います。
 
そしてその後、二人で大きな川沿いを散歩するのですが、元夫は川の方から伸びてきた藻のような植物に絡みつかれてあっさりと死にます。私は元夫が死んだのを見届けてから、来たのとは別の道を通って街に帰ります。
 
目覚めたとき、悪夢を見たという感じはしませんでした。そして思ったのは「私は、自分では手を下さないんだな」ということです。
意味があるかはわからないけど、印象的だったので書き残してみました。
 
そんな夢を見たころ、この記事を読みました。
なくならない悪夢と向き合うには - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

すごくいいことを言っている。

2015/03/16 23:16

 私は『海辺のカフカ』は途中で投げ出してしまったのでそんなシーンがあったかは覚えていないのですが、そのシーンは夢なんですかね、村上春樹的な夢か現実かわからない世界なんですかね。改めて『海辺のカフカ』を読んでみたくなりました。

 読んだら「800字感想文」だね!