トラウマは解消された、のかもしれない。

今日は息子の授業参観と、学年最後の保護者会だったのですが。

 

2分の1成人式とかいう - 見て見て!書いたよ!

このとき書いたように、昨年私は「学年最後の保護者会」をサボりました。それは、一昨年の「学年最後の保護者会」が本当に嫌だったから。学級崩壊しているのに、出席した保護者全員に「一年間の反省」を言わせるって。

暴力でしかないと思うんだけど。「嫌です」と言うべきだったと今は思うんだけど、そのとき言えなかった。それは、もうそれ以上傷つきくなかったからだと思う。っていうか「言わせる側」が気をつけるべきことだと思うよ!!!!

 

で、そのように嫌な思い出があり、息子が勉強が苦手でクラスでの立ち位置がビミョー(と、私が思っている)なので人前に出たくないこともあり、今日も「どうしようかなー」と思っていたんだけど、結局「えいやっ」と出てみたのだった。

 

そしたら。「一年間の反省」なかった!

そして、一昨年同じクラスだったお母さんと「一昨年のあれ、嫌だったよねえ」「そうだよねえ」という話ができた!!

出てよかったー!!!!という気持ちを忘れないために、書き残しておく!

2018年は。

お久しぶりです。何と、前回から11ヶ月ぶり。一年の振り返り的な記事は毎年書いていたので今回も書きたいなと思っていたのに、いろいろあって1月も終わりになってしまった。

土日に子供たちが習い事やスポ少(始めたんですよ!娘が2018年に!)に行っている間にササッと書いてしまえばいいのにと自分でも思うものの、空いた時間を自分のために使うことがなぜかはばかられてしまうのだった。それがスポ少!時間があるなら顔を出す!

 

そう、2018年を振り返ってみると、今思い出せるのは、正社員になったこと、相変わらず役員に追われていたということ(学童と子ども会)、娘がスポ少を始めたということ、周りがやめていく中「オレは6年までいる!」と言っていた学童を息子がやめたということ。それから、「ボーリングとカラオケ」の楽しさを子供達に伝えられたということ。

「ボーリングとカラオケ」って、ある意味象徴的なんだけど、私の実家ではタブーだったものなんですよね。両親がそれらを嫌いだから。でも、私はその楽しさを子供達に伝えたかった。つまり「自分が今まで育ってきた中で、良かったと思うことはそのまま子供達に伝えていくが、良くなかった、嫌だったと思うことは改めた上で伝えていく」ということです。もちろん、子供達がどう受け止めるかはわからないけど、それって最強じゃないですかね。最強のやり方を残す!と思って過ごしてます。

そして、そんな子供達に引っ張られて(ちょうど熱中していた時期で、あまりにボーリング、ボーリング言うので)、帰省したときに私の両親と妹夫婦交えて「家族ボーリング」が初めて実現しました。両親も少し変わったのかもしれない。

 

今思い出せるのはそのくらい…だから、また何か思い出したら書き足すかもしれない。

嫌なことはネチネチと。

スポ少への怒りが私の原動力 なーう

 

それがブログ!!!!!

2分の1成人式とかいう

今日、小学校で息子の学年の2分の1成人式がありまして。

さっき終わったんですが、終わるなりわーっ!と駆け出したくなっちゃいまして。それで車をしばらく走らせた先の喫茶店でこれを書いています。

本当は、2分の1成人式の後に今年度最後の保護者会がありますけど。「一年間を通しての感想」なんて昨年のトラウマだし。保護者会の資料は2分の1成人式の受付で既にもらっていたし。体育館から教室に向かう保護者の列から抜け出して、帰っちゃいました。

 

まず、私と息子は2年前にこの小学校で「生い立ち授業」も経験しているわけです。

生い立ち授業とか - 見て見て!書いたよ!

 これらの行事がフツーに行われてるってことは、まあフツーの小学校です。

「僕たちはー」「私たちはー」「こんな風に育てられましたー」みたいな感じで語られる育てられ方が、良き親の姿過ぎる気はしたな。それを聞いて心を痛めていた子はいないと思いたい、けど。

 

私がなぜ駆け出したくなったかというと、「とにかく驚いた」から。それは「感動」とはまた違っていて、良い意味でも悪い意味でも「驚き」の方向だけに感情が揺さぶられた。

今の息子の、外に向けた姿というものが見られたから。

全員が将来の夢の発表をしたのですが、「今の息子にとって、人に見せたい自分というものはこれなんだな」ということがわかった。あと、各自が自由に作成(思い出を書いても将来の夢を書いてもよい)した作成物を見て「これが表現したいことで、それを表すのがこの形なんだな」ということがわかった。なんかね…名前の由来とか私に聞かず推測で書いちゃってるんですけど。「推測で書いちゃうのかー」と思った。詳しい内容は知らなかったけど、数日前に「もう書いたんだけど、俺の名前の由来ってこうだったよね?」と聞かれていて。違っていたので訂正して、「一般的にはそうかもしれないけど私とお父さんはこう思ってつけたよ。聞いてくれれば答えるから聞いてほしかったよ」という話はしたんだけど。これが、悪い意味での驚き。

 

なんていうか…感動していた人もたくさんいたけど、そういう人の子は作成物もしっかり作られており、将来の夢が親の理想と一致しているのだ。それは、親としては嬉しいと思う。クラスの中の割合としては、そんなご家庭が多いけど。ウチは以下略ー。

歌とかダンスとかは、運動会とか音楽会とかで「この子たちはこれだけのことができるんだ」ということがわかっていたし。生い立ち授業と同じで、別に怖いものでもなかったけど、大々的にやるものでもない気はしたな。

親が手紙書くとかはなかったのでそれは良かった。

2018年明けましておめでとうございます

お久しぶりです。

 

いろいろと書きたいこともあったのですがなかなか書けないまま2017年が終わってしまいました。元気です。ハマったものなど思い出しながら2017年を振り返ろうと思います。

 

dnnn.hatenablog.com

こんな感じに2017年が明けたんだった。元旦早朝の用事というのは…あまり詳しくは語りたくないのですが、息子がある武道をやっていまして。それで昨年は元旦早朝から稽古があったので、家族全員、年が明ける前に寝ていました。

しかし今年は稽古がなかったので年越しを楽しめた!

といっても31日の日中に用事があったのでバタバタでしたが。

帰ってきたのが夜の7時過ぎだったので、まず先に年越しそばを食べてお腹を満たし、その後に夕食作り。夕食は『おぎやはぎのメガネびいき』で小木が「小木家は大晦日にすき焼きを食べる」と言っていたのを真似してすき焼き。その後、特に見たいテレビもなかったので録画していた『正解は一年後』を見て、紅白をつけてみたら氷川きよしが出ていたので「おはスタのチキチキモーの人だよ!」と子供たちに勧めて見始めたら氷川きよしは歌が上手いので子供達も盛り上がっていました。その勢いでゆく年くる年。同時に11時半からオールナイトニッポン三四郎の年越し初笑いスペシャルだったのでLINE LIVEで見ていました。

三四郎の漫才を見ながら年が明けました。

 

三四郎オールナイトニッポン0は、9月ごろにふと思い立って聞いてみたら小宮がダイハツのCMで高畑充希と共演したことを自慢していて、その不遜さがすごく面白かったのでその後も続けて聞いています。

そう、2017年は前にも増してラジオを聞いた年だった。車での通勤中に『生活は踊る』『たまむすび』と深夜ラジオを気分によって聞き分けています。欠かさず聞いているのは三四郎だけだけど。

まだ お笑いラジオの時間 (綜合ムック)

まだ お笑いラジオの時間 (綜合ムック)

 

  

テレビは、今私が一番好きなテレビ番組は『イッテンモノ』 なのですが。千鳥とサンドウィッチマン三四郎(オープニング表示順)。この三組を他の番組でも追いかけているかなー。

 あとは『カルテット』と『ひよっこ』と『やすらぎの郷』!3月の『最高の離婚』再放送!『カルテット』と『最高の離婚』は、息子といろいろ議論しながら見ました。

dnnn.hatenablog.com

 

音楽はサチモスとにかくサチモス。昨年の正月の『ゴッドタン』でバカリズムのマジ歌がサチモスの「STAY TUNE」のPV風で、それを見てサチモスのかっこよさを再認識して聞き始めました。アルバムも買ったよ。 

THE KIDS(通常盤)

THE KIDS(通常盤)

 

  息子の習い事の送迎の車中でよく聞いていました。平日の夕方に行っている方は市の外れまで行くのですが、工場地帯を抜けるとき、冬の夜にサチモスがぴったりきていました。

今は…息子は、下の記事を書いたときと習い事は変わっていません。娘は辞めたり新しく始めたりで、今思うと一年の間で結構変化があったなあ。まあ幼稚園から小学生になったしね。どの習い事も、送りはファミサポさんに大変助けられております。

dnnn.hatenablog.com 

あと音楽といえばDJ JINの『Music Journey』シリーズ。2017年に発売されたのは『#02』なんだけど、『#02』発売前に、前の年に買ったけどあまり聞いていなかった『#01』をじっくり聞いてみたらとても良かったので『#01』ばかり聞いていました。

ミュージック・ジャーニー-クラシックス・クロスオーバー-mixed by DJ JIN

ミュージック・ジャーニー-クラシックス・クロスオーバー-mixed by DJ JIN

 

 『Music Journey』シリーズをきっかけに買ったCDもあって、『#01』からはAzymuthのOutubro、『#02』からはEddie KendricksのUltimate Collectionを買いました。こういうのが好きなんです!

 

音楽とかラジオをよく聞くようになったのは、コレを買ったことが大きいかも。ソニーのポータブルスピーカー。音悪くないですよ。っていうかウチの車の貧弱なオーディオと比べると格段に良いです。充電も長持ち。コレで移動中にスマホとかiPodとかの音をBluetoothで聞くのだ。

 

えーと2017年通しては、息子の状況はこの記事を書いたときとそんなに変わっていないですね。

dnnn.hatenablog.com

 淡々と通級に通っております(きつい)。

自治会の役員もやっています(きつい)。団地班の取りまとめ役なんだけど、団地なので高齢の方が亡くなったり、外国人の方が引っ越してきたりします。ある棟の役員の方が急に入院して連絡が取れなくなったりもします。その度にいろいろ動くのですが、私が一年を通して学んだのは「まず、電話で人に聞く!」ということですね。時と場所を選ばずに連絡が取れるなんて、電話って本当に便利(子ども会と違って自治会はメールとかLINEの世界ではないのだ)!電話で役員を乗り切ります!

 

2018年は…上の記事にある「知りもしない話だな」の判断を早くできるようにすることと、『イッテンモノ』の感想を毎週Twitterに書き続けることです。

今年もこのブログをよろしくお願いします。また、何か書きます。

叫び出したいような!

8月の後半に実家に帰っていたのだが、最近は実家といっても自分の実家ではなくて母の実家に行っているのである。実家がキライなのもあるけど、母の実家には祖母が一人で住んでいて母も週の半分はそちらに行っているので、そっちに来いと言われるし。ということで何日か滞在していました。新潟県の三条なんだが、最近は市長効果なのかスノーピーク効果なのか三条のオシャレ化がすごくて、最近できた道の駅保内に行ってきたんだけどオシャレすぎてトイレの男女表記がわかりづらく、トイレ入った手洗いスペースのオシャレな天井近くの壁に大きな字で「女性用」とか貼り紙がしてあるのに笑ってしまいました。どうせならトイレ入る前の壁にわかりやすく貼ればいいのに、そこは譲れないんだろうか。閑散とした庭園に大音量で音楽が流れていて、なんだか花博を思い出しました。何年か経ったとき、どんな味わいの施設になるんだろう(いい湯らていのゆるさは好きだよ!)。椅子がたくさんあってあらゆる場所でくつろげるし、カフェではすごく丁寧にコーヒーを淹れてくれるし、いいところですが。

ていうか新潟はオシャレだよねえ。

 

実家に滞在していると「家事を自分が主となってやらなくていい」状態なので、ようやく「読書でもするか」という気持ちが生まれてくるのである。そこで読んでいたのが、母が図書館から借りてきていた『暮しの手帖』と、「時間があったら読めるといいな」と思って自分の家から持って行った『明るい夜に出かけて』。 

暮しの手帖 4世紀77号

暮しの手帖 4世紀77号

 

潮田登久子さんって「すてきなあなたに」に書いてるんだ!っていうか今の「すてきなあなたに」って複数人で書いててどの記事を誰が書いたか書いてあるんだ!ということを今さらながら知った。

 

明るい夜に出かけて

明るい夜に出かけて

 

「読めるといいな」どころか、読み始めたら一気に読んだ。素晴らしい青春小説!ラジオ!アルコ&ピースのオールナイトニッポン!私は別にアルピーさんのラジオのリスナーではないけれど、読んでいて楽しかった。青春小説、というのは、主人公の富山くん(大学休学中、コンビニバイト)はある出来事から人と関わることを極端に避けているんだけど、才能はあるのである。そんな彼を引っ張り出してくれる仲間がいて、仲間との関わりを通して一歩を踏み出す…となればそれはもう青春以外の何物でもないのである。

ある出来事とは何なのかは、読み始めて割とすぐに明らかになるのだが。そういう出来事って誰にでもあるものなのでしょうかね。私は「あの出来事」に重ねて読みましたよ。あれですよあれあれ!学童の保護者会の役員をしていたら年度末に突然糾弾され、誤解は解けたものの腫れ物扱いという。

 

これこれ。

 

この時点ではこんなにお気楽だったのに…

 

「自分のやり方に良くない点もあった」というのは当然のことであるのだけど、自分を責めすぎてしまったり。あと「その件について語りたくない」様子がまるで自分を見ているようだった。

富山に才能があることより、おせっかいで気のいい友人永川がいることがうらやましい。なかなかいねーからな!ナガカーみてーなやつは!いねーから、私はそこに留まり続けることを選んで、今もそこにいるわけだけど。そして2年たった今思うのは、「あれ?あの時いた人たち、いなくなったな?」ということ。保護者の付き合いなんてそんなもんだ。そして私は、私なりに今の代の人に伝えられることを伝え続けているよ。

 

読み終えて思ったのは「自分が欲しいと思ったものは、自分で手に入れるしかないのかな」ということ。それは人間関係だけではなく、もっと人生のいろいろな部分で。この本がそれを言っているのかはわからないけど、自分と照らし合わせてそう思った。だから今は「手に入れてやるぞー!」という気持ちになっている。

 

対談バックナンバー | 波 -E magazine Nami-|Shincho LIVE!(新潮ライブ!)| 新潮社のデジタルコンテンツライブラリー

『波』に載ってた作者佐藤さんとアルピーさんの対談が面白くて、ずっと気になってたんですよ。「実際の放送がかなり盛り込まれた小説」について他ならぬ自身が語る、という!小説を読み終えてからまた読むと、さらに面白い。

世の中への怒りだよっ!

お久しぶりです。

前回四月に「三年生が終わった」記事を書いてから「四年生になって一ヶ月が終わった」とか「一学期が終わった」とか書きたかったけど忙しくて書けませんでした。

五月から息子が週一で他校での通級に行き始めたので付き添いと、学童の役員をやっているのと、自治会の班長プラス役員もやっているのと、あと4月から仕事も増やしたか。あと習い事の送迎に追われていたり。学童の役員は勝手知ったる役で大変ではなかったはずが、今年度はいろいろと揉めていて大変になってしまった。一段落したけど。その他も「大変なんです!」と周りにぶちまけて、なんとか落ち着いてきた感じだ。まだ大変だけどね。

 

そんな大変な中、とにかく「食べて、寝る」ことだけは淡々と行い、体に不調も出たりしながら感じ続けていたのは「世の中への怒り」だった。

それは「大変なんだから何とかしてよ!」ではなく、「ウチはこのやり方しかできないんだから、助けてくれないなら放っておいてくれよ!」って感じだな。

別に誰かから実際に口を出されることなんてあまりないし、出されたとしても「ウチの場合」なんて全く知りもしなかったりするんだけどさー。でも「あ、知りもしない話か」というところまで聞くのだって疲れるのよ。「知りもしない話だな」と認識した後だって、それを聞くことによって何かは削られていくよ。

 

まあ朝ドラ見たり、「やすらぎの郷」見たり、通級の後仕事に行くとき少しだけ時間に余裕があるので、好きな道を通ってみたり(ペーパードライバーだった私がねえ)とかしながら楽しくやってますけど。

ひよっこ」は今週の綿引さんの手紙の回以降、「やすらぎ」は八月に入ってからの録画をまだ見られてないんだけどさ…

綿引さん派すぎてドラマガイド買ったよ。

 

 

連続テレビ小説 ひよっこ Part2 (NHKドラマ・ガイド)

連続テレビ小説 ひよっこ Part2 (NHKドラマ・ガイド)

 

 

 

三年生が終わった

息子の話です。

いやもう四年生が始まってるんですけどね。四年生がどう転がるかわからないけど、書いておかないと「三年生が終わった時点の気持ち」を忘れてしまいそうなので。

 

昨年、三年生の五月に担任の先生から「授業中落ち着きがない」「ノートの字が汚い」と言われ、そこからいきなり「薬でよくなりますよ」と言われ。その後学級崩壊して、教室自体がまったく落ち着かない場所になるんですけど。

まー走り回りましたけど。ちょっと今系統立ててまとめる気力がないのと、どこまで事実通り書いていいものか決めかねているので、自分の気持ちだけ書きますけど。

 

まず思うのは「担任の先生の態度、あれは一種の暴力なんじゃないか?」ということ。

別に私だって自分が常に正しいなんて思っていないけど、例えば、

「何が理由なんですかね?」と、納得できる理由が出てくるまで質問攻めにする。

休日に連絡なしに家に来る。

ってどうなんでしょう。例えばね(実際はそれ以上のことがあったよ!)。

あと保護者会で「この子たちは将来社会に出たらやっていけない」と言うとか。「100%間違ったことではないのかもしれない(だいたい将来のことなんて誰も予想できないし)が、教師という立場でその発言がなされたときに、親という立場で受けるダメージがものすごい」んですよ。それが積み重なると、自分で判断する力が失われていくんですよ。学童の保護者仲間に「実は、先生に薬を勧められていて」と相談したとき彼女たちは即座に「それは先生が決めることじゃないよね」と言ってくれてとても救われたんだけど、そういう当たり前のことさえ人に言われないと自信が持てなくなるくらい追い詰められていくんですよ。

離れた今は「自分はそんなに間違ってもいなかったな」と思えるけど。そういう、ある意味暴力ともいえることを行なっていいのか?というのは今でも思っています。だから、こうしてブログに書いています。

 

あと、今思っているのは…「通級の先生と面談してきたが、どうして通級に対してネガティブなことばかり言うんだろう」ということですかね。いきなり「通級に通っていることをどのくらい隠しますか?」と、Max隠す場合の例などを話されて落ち込んでいます。実際ネガティブに考える人もいるのかもしれないけど、私がそのように考えていないことは冒頭から話しているのにあえて説明して無駄に落ち込ませるって、意味があるんだろうか。説明責任?

困ったときにその都度考えましょうよ(…と言ってるのに「一応」と、一通り聞かされる)。

 

息子の状況については「人より少し遅れてるというだけじゃないのかな」と思っていますが、その遅れは「その学年でできるべきこと」から外れたものではないと思っています。ただ「字を書くこと」については困難があるのかもしれないとは思っていますが、何ともいえない状態です。今は。

 

あと、前にも書いたけど「いろんな人に、必要に応じた詳しさで説明するのが本当に疲れる」ってことです。

流行りのサンシャイン - 見て見て!書いたよ!

新年度になったのでまたいろんな人に説明しなきゃいけないんだこれが。今のところ、通級の先生と、新しい担任の先生と、新しい上司ですけど。あと引き続き元夫と私の母(私だけじゃ対処しきれないので)、職場の同じチームのメンバー(通級で抜けるので引き継ぎなど)。もー誰にどこまで話したのか忘れちゃっていきなり詳しく話しちゃって「は?」とかなっちゃってますけど。あと先生などの教育関係者以外からは、たいていアドバイスがついてきます。それどうしても私に言いたいっていうのなら一応お聞きしますけど、私がその通りにすることまでは期待しないでくださいね。本人に言え!(…と直接言ってますが)

 

そんな感じの現在ですが。教育センターの先生から年度最後に言われた「毎日笑って生活できる。それで十分だと思うんですけどねえ」ということが、本当に支えになっています。大丈夫だ!それなら自信がある。

それが学習がからむと「でも…」と落ち込みがちになってしまうけど、それは仕方ないだろう。

今年度も走り回っていこうと思います。